第1回 歌舞伎町の手相観

第1回 歌舞伎町の手相観
第1回 歌舞伎町の手相観

 あの頃は、夜になると新宿歌舞伎町に手相観が現れた。

 ビルの柱の陰に隠れるように小さ なテーブルを置き、その上に小さな提灯を乗せ、その提灯の黄色い薄明かりの中で手相観たちはゆらりと立っていた。

「あなたは大器晩成型ですね」

 差し出した僕の掌をしばらく観察 した後、手相観はゆっくりと言った。その声は手相観の口からではなく彼の後ろの影のほうから聞こえた。影は、健康、運命、恋愛などに ついても話してくれたが僕の耳の奥には「大器晩成」という言葉だけが残った。

 上京したばかりで明日のことさえ 定かに想像することも出来ない十八歳の僕にとって「晩成」とは目眩がするほど遠い未来のことのように感じられた。僕が生きている間 にそんな時間は来ないだろう思われた。永遠に来そうもない「晩成」を待たなければならないとは。これから世に打って出ようとする若者 に「大器晩成」という言葉は「あなたには才能がありません」と聞こえるのです。

 歌舞伎町の喧騒の中でキャッキャ とはしゃぐ長髪の若者の群れも、きらめくネオンも、ディスコも、サタデーナイトフィーバーも、すべて消え失せ、僕はひとり永遠に続く 闇に包まれていた。そしてその永遠の果てに「大器晩成」が寂しく点滅していた。

 しかしそれでも時はあっという間に過ぎて、美しくも無知だった若者は利口な老人に なった。「大器」かどうかは別にして「晩成」したことだけは確かである。あの歌舞伎町の手相観の予言の半分は成就したことになる。今のと ころ予言は半分当たっているのだから後の半分もきっと当たるであろう。この年になると「永遠」なんかに脅されなくなるのだ。

与座 英信

この記事をシェアする