4・28のころ

 4・28を東京で迎えた。都内は静かで、皇居前広場はいつものように観光客で賑わい、周辺はランニングや自転車競技などが行われ、「主権回復の日」は平然と行われた。
 日比谷図書館文化会館で行われた沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック主催の抗議集会に参加した。場外にあふれるほどの参加者。その後、デモに移った。新橋駅まで淡々と行われた。時折右翼の宣伝カーが沖縄を罵倒し絶叫する。「売国奴」という馬鹿がいる。右翼の赤尾敏が生きておればそのような筋違いのコトバなど言わさなかったであろう。〈沖縄はいつも売られているのです〉。歴史勉強しているか。
 シュプレヒコールがくり返され、エイサー風の、地謠が三線で奏でる「沖縄を返せ」に合わせて、琉球絣を着た女性が優雅に舞う。初夏の暑い日差しのなかを歩いていると、なぜか、目が潤んで来る。寂しい。体の底から湧きあがって来る寂寥感。ヤマトに絶望し故郷へ帰った晴海ふ頭のあの感じである。
 ヤマトはいつ来ても、異国であり、心からなじむことがない。やはり私はヤマトでは異邦人である。
 テレビで政府主催の式典を見る。天皇・皇后両陛下が退席されると、なんと出席者から「天皇陛下万歳」の叫び、安倍首相も両手をあげて唱和しているではないか。天皇陛下の強張った表情、皇后陛下は下を俯いたまま退席された。そのとき、天皇・皇后両陛下の脳裏には、天皇制国家を維持するために沖縄を犠牲にして来たことが去来したはずだ。
 国民主権を忘れた、天皇陛下万歳者の知事や政治屋たちは天皇を政治的に利用しているに過ぎない。
 沖縄から出席した高良倉吉副知事は天皇陛下万歳を唱和したとき「慣れていなかったものですから、即座に反応ができなかった」(朝日新聞4月29日号)と話している。慣れていたら即座に反応し万歳を叫んだのであろうか。
 仲井真知事の後継者と目される高良副知事が日米同盟の強化を推進する沖縄イニシアチブ論者であることはいうまでもない。基地にしろ、経済にしろ沖縄はイニシアチブを取ることができるであろうか。イニシアチブ論は、基地を容認し沖縄の風向きを変えた。そして、自民党をはじめとする保守派から歓迎された。
 歴史学者である高良副知事は「歴史とは、現在と過去の対話である」というE・H・カーのことばとどう向き合うのだろうか。過去を学ぶために現在があるのではない。現在を理解するために歴史を学ぶのではないか。
 大田昌秀知事を引きずり降ろし、稲嶺恵一を知事にするためにイニシアチブ論者たちが果たした役割は大きい。
 その大田落としには官房秘密費が出されたと鈴木宗男代議士が暴露し、さらに、国際政治学者、チャルマーズ・ジョンソンの『帝国アメリカと日本・武力依存の構造』では、基地に反対する大田昌秀知事は邪魔であり、東京とワシントンになびく候補者に当選して貰う必要があった。ペンタゴンにせき立てられ日本側は、内閣官房長官が沖縄問題の諮問機関をつくり、米軍基地のある市町村に振興策支援の1千億の補助を提言したりしたという。
 さらに、政府は大田知事との接触を控え、補助金を打ち切り、沖縄経済を低迷させた非現実的知事としてネガティブキャンペーンを成功させた、という。 高良を始めとする沖縄イニシアチブ論者たちが、そのお先棒を担いだことだけは間違いないであろう。高良副知事のこれからの動向は注目すべきであろう。
 八重山では、石垣市の玉津教育長が、石垣市と琉大の協定事業業務から、教科書問題で玉津批判をした琉大の山口剛史准教授を外すよう琉大に要請したという。
 玉津教育長は一言でいえばファシストである。自分以外の意見に耳を貸さず、異端は除外せよ、である。思想信条、学問の自由、研究、発表を許さない、これほど危険で恐ろしいことがあるだろうか。
 教育再生会議が、首長の意見を反映させるため教育長の任命、罷免をするため、教育委員会制度の抜本的改革を提言している。イエスマン教育長の誕生であり、イエスマン教師、イエスマン生徒の誕生である。
 国の動向を先取りしたような玉津教育長は八重山の教育行政にとって相応しくない。退陣をすべきだ。

大田 静男

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