県立広島大学教員 上水流久彦さん
●上水流さんは台湾の事情に詳しく、与那国も何度も訪ねておられる。特区構想からここに至るまでの経緯をどうご覧になっていますか。
台湾との交流の構想で影響が大きいのは戦前の与那国と台湾の交流ですよね。当時は日々に行き来していました。内地の文化を沖縄本島よりも早く知るという優位性をもっていたということや、密貿易時代の久部良の繁栄のなかで、日本のどん尻、終りじゃなくて、東アジアの中で複数の地域を結ぶ地点として島が発展したということが今の構想に結びついているのだろうと思います。
ではどうするか。今まで国際的に開く手続きをしていなかったので、それを進めようとしました。それには実績が必要です。チャーター便就航などの流れの中で2005年、2006年と特区の申請をした。ところが、許可が下りなかった。そのときの国の担当者の答えは、特区でなくてもできるでしょ、ということであったようです。
そういう中で、与那国町は花蓮市役所の中に事務所を開き、半年ほど事務所に人を置いて、花蓮市にも与那国と交流・交易をしようという団体も現れてきました。しかし実際、船を入れて実績をつくりましょうというときに、悪天候で船を持って来れなかったり、手続きがうまくいきませんでした。さらに選挙で、それを進めてきた人たちが役場から離れていくという状況もあったようです。
現在も台湾と直接交流するのが不可能とは私は思っていませんが、ただ今の与那国は、残念ながら、物事を進めていくのに難しい政治状況にあるのかなと思います。
自衛隊の問題については与那国の人々が決めればいいと思いますが、自衛隊のある自治体を見ていくと、自衛隊依存の構造が生まれています。そうならずに、自衛隊に頼らない別の活性化の道も模索していかなくてはならないと思います。
●自衛隊と自治体の関係について教えてください。
防衛とかの観点からではなく地域振興のひとつとして自衛隊に頼るというのは与那国だけの特殊な問題ではないですね。ただ、沖縄でそれをする場合には、これまでの歴史の流れがありますので、簡単にはいかない。それはあるだろうなとは思います。
国境にあるところ、とくに中国と近いところにある国境では、対馬もそうですが、国防上自衛隊をもってくるのはよく聞く論理ではあるので、与那国にも自衛隊をという発想が起こってきたのではないかと思っています。しかも、公的機関、国の機関も減っていき、経済的な起爆剤がないという中でいま自衛隊しかないという人がいるというのは聞いています。
ひとつの契機は尖閣をめぐる問題が激しくなってきていることがあり、その背景には中国の膨張があります。そういう問題が発生すれば国防上自衛隊を重点化していくというのは当然じゃないかという理解が与那国でもすすんでいったんじゃないでしょうか。
しかし与那国に100名の自衛隊を置いて日本の国防にとって大きな意味を持つのかどうか。私は国防政策の専門家ではないのですが、国防上そんなに大きな意味を持たないと思いますね。
台湾の側から見ると、どうしていま与那国に自衛隊かと驚く人たちが多いのは事実です。彼らには地域振興という観点からは眺められないのであくまでも国防の問題としてとらえます。与那国に自衛隊がくるというのはある意味中国という問題があるにしても、台湾に対して国防のメッセージを発するということになります。なので、彼等の中には仲のいい日本と台湾の間でなぜそうなるのだと驚きの目でみているというのはありますね。
与那国のなかで自衛隊に反対の人たちは、歴史の問題を考えたときに反対だという人、自衛隊ではちゃんとした島づくりにならないという人、与那国はこれまでいろんな所と交流しながらやってきた、自衛隊はそのイメージに合わないと反対する人もいます。
●対馬にもよく行かれるそうですが、国境の島の発展に必要なのは何だと思われますか。
対馬と与那国の共通性は、国境にあって、日本という国の中では利便性の悪いところにあるということです。そして日本経済が疲弊していく中で補助金は減り、自立をしなさいと国は言う。では本当にいろんなことをやって自立していいのかというと国が許さないことも多いと。そういう矛盾にぶち当たっているのが対馬や与那国だと思います。大きな産業があるわけではない。国に対してどうするんだという思いですよね。
対馬はおよそ3・5万人の人口で、自衛隊の関係者がその4分の1くらいはいるんじゃないでしょうか。以前は漁業や真珠などが主な産業でしたが、現在の対馬の重要な産業は自衛隊の人たちとその家族たちの消費活動です。これは大きくて、彼等なしでは対馬は成り立たないと考えている人は普通にいらっしゃいます。しかし他の産業はなかなか発展しない。やはり対馬も自衛隊だけに依存せずに活性化の道を模索していかなくてはならない状況です。
どうすればいいか? 対馬も与那国も「中継」しかないと思いますね。観光と貿易です。日本と外国の両方から得られるメリットを享受すべきです。
例えば台湾から飼料を入れてきて牛を育てるとかすればコストを削減できます。以前は砂利は沖縄から持ってくるよりも台湾から入れたほうが安かった。大企業が来て工場をつくるとかは今のところありえないことですから、人が通過したり物が通過していく場所、または安いものが入ってくる場所として立て直す以外にないんじゃないかと私は思います。
観光の面で言うと、今の与那国は台湾の人たちがこぞって喜んでくる観光地ではないですね。港ができて船が着くようになったとしても、じゃあ観光客が来るかというと別問題です。クルーズ船が与那国に寄るルートがあってもいいと思いますが、そのためには地域の人たちがどれだけ本気に関わるかが問われます。
石垣のアーケード街に「大震災に支援してくれてありがとう」というのが中国語で書かれていて、ちょっと感動しました。日頃からクルーズ船を受け入れているのでそれを掲げる人がいるのだと。まず地域住民と行政が一体となって台湾の観光客を受け入れる体制づくりが必要だと思います。
二つ目は観光地の充実ですね。しかしこれは与那国だけでは対応ができない。したがって石垣牛などのグルメや砂浜での遊びは他の島々に任せて、与那国では切り立った断崖絶壁の自然を馬で廻ってもらうというような、八重山全体での住み分けを考える必要があると思います。
●あのとき特区構想を国が受け入れていれば事態は違ったでしょうか。
与那国が台湾との交易交流をするときやはり国や県のサポートなしでは無理だと私は思っています。そのサポートは地域が自立していくための当然の支援です。確かに高コストの話になるけれども、与那国のようなところに自分でやりなさいというのも、国の責任放棄ではないかと私は思います。国土保全のために必要なコストです。
自衛隊が来ることに関しては国は一定程度のことをしてくれます。ただ、それは国に対する依存を自立へのサポートとは違う形で高める方策であって、住民自身が汗をかく中で何かをしていくということには結びつかないと思います。地域の自立ということからすれば国の方向としては違うんじゃないでしょうか。
個人的な見方をいえば、自衛隊をもってくるよりはむしろ貿易ができる港をつくったり、CIQを入れたり、そして船を動かすのにいくらかお金を入れるというほうが、地域の自立につながると思います。しかし自衛隊もやむをえないという島の人たちに島外の人間が何を言えるかとも悩みます。
最後に申し上げたいのは、与那国の問題は与那国だけの問題ではなく、我々の問題でもあるのだということですね。与那国の人たちだけでというのは無理な話で、国境や、過疎地や中山間地域の暮らしを成り立たせる問題は、都会に住み、時にその自然の恵みを享受している私たちも責任を負っていくという視点をもたなくてはいけないと思います。
上水流久彦(かみづるひさひこ)
鹿児島生まれ。1994年~1996年、台湾で現地調査。2001年、広島大学大学院社会科学研究科終了、博士(学術)。著書に『もっと知りたい台湾 第二版』(共著、2002年/弘文堂)、『台湾漢民族のネットワーク構築の原理―台湾の都市人類学的研究』(単著、2005年/渓水社)など。