廉太郎と女性店員がお礼の言葉の応酬をしているのをぼくは無言で眺めていた。元々、物おじしない社交的な性格であるが日本列島の最西端の島で、島の方言を使って一期一会の出会いを広げようとしている息子の姿に内心感動していた。
店員が笑みをたたえたまま立ち去ると、ぼくは素直に廉太郎を褒めた。
「素晴らしい社交術だな。どこで方言を覚えた?」
「空港ロビーに大きくかかげてあったろう。まあ、父さんはその横のオリオンビールのポスターしか目に入らないだろうな」
ぼくはうっすらと酔いかけた頭の中で、この旅の中で息子に伝えなければならない言葉を、今ここで告げようかと思った。旅を計画したときから何度も反芻してきた言葉が口にでかかった。しかし、酔った勢いで軽々しく言うべきでない、との自制がなめらかになってきた舌を押さえた。そして、自分が廉太郎と同じ高校一年生の頃を思い出した。八重高に入ったのは当然大学に進学するつもりであったが、高一の夏休みを終えてみると大学で学ぶことに疑問を感じ始めていた。大学とは学歴を得るための手段、もしくは人生を有利にするための機関ではないのか。その疑問が芽生えたことで机に向かっても学業より小説を読む時間の方が増えていた。それには日々激しくなる大学紛争も大きな影響を与えていた。
親のスネをかじって通っている大学でなぜヘルメットをかぶりゲバ棒を振るわなくてはならないか。そもそも人生とは何か。思えばあの頃からぼくは迷路に踏みこんでいた。その迷路では文学作品だけが支えだった。そしていつしか高校中退を真剣に考えていた。しかし、目の前にいる息子は中学受験の勉強も高校入学もきちんとした将来の設計の元に行ってきた。単純とも思えるほどに未来を見すえて今を生きている。ぼくにはそれがまぶしかった。バイト代をボクシングジムの会費にあて、目標の大学に行けるための学習にもきちんと取り組んでいる。それはぼくが反面教師となっているからだろうか。