昨年暮れ、生れて初めて手術をした。前立腺がんと診断され、頭がガーンとなった。
医者に正直に言ってくれ、俺は死ぬのか? というと医者はあきれた顔で、誰が死ぬのですか、大丈夫ですと言う。しかし、疑心暗鬼。いよいよこの世とおさらばかと思うと、これまで遣り残してあった、原稿やすきな絵等やり遂げなければと覚悟を決める。
しかし、気ばかりあせって遅々として進まない。死を考えると眠れぬ夜が続く。ウトウトしていると死んだ親から友人から次々枕元に現れて夜な夜な饗宴を繰り広げる。あの世からのお迎か。やっぱり死ぬのだ。死ぬ死ぬ死ぬ。小心者は死の恐怖を酒で紛らす。
手術に向けての検査。貯血で那覇通い。航空賃やホテル代も馬鹿にならぬ。離島の医療体制の不備や医者不足をしみじみと思う。
医者不足はなにも今日に始まったことではない。琉球王府時代、医者不足を解消するため士族や百姓という身分を問わず才能のある者は医道に励んだ。八重山でも百姓が医者の学問に励んでいる。修行中は免税など優遇されたが、なかには租税のため、途中で医道稽古を辞めさせられ、村に帰り元の通り百姓としてつとめるよう命じられたり、才能がないと辞めさせられたりする者もいた。エリートから一転、泥田にまみれ生涯を終えなければならないだけにさぞ無念であったであろう。
それはさておき、麻酔を打たれて手術。当然その間、意識不明。遠くから名前を呼ばれている。目が開き、朦朧としているが、意識は回復した。医者や看護婦、妻や娘、兄夫婦が顔を覗き込んでいる。手術は成功し生きることになった。病院の窓にさす太陽の光を浴びると、生きているという実感がわいた。
白い天井を見つめていると、意識がないとき、俺はおれであったのか? 生きるというのはなにか。死を意識してこれまでの人生観が崩壊して行くのを実感した。
さて、療養中に沖縄県立図書館八重山分館の廃止が決まった。声を上げるにも体や頭が思うよう動かない。残念無念である。
昨年、入院直前に、やいま十二月号の壺中天地に、県教委が図書館廃止のアリバイつくりをしている。「石垣市長と県教育委員会の間で、分館廃止との噂がある。中山市長も議員時代八重山分館存続を決議したはずだ。態度を明確にすべきである」と書いた。
この文章に対し、〈だれが情報を漏らしたか〉と〈犯人〉探しが行われたという。
そんな暇があれば、八重山分館廃止をどうすべaきか市民に問いかけるべきではなかったか。『石垣市長への公開質問状の回答』には「貴会や郡民市民の皆様の不安や失望は大変大きいものと十分理解しております」(二月十八日八重山毎日新聞)と述べるに至っては、なにおかいわんやで、それこそ市民への背信である。
同じようなことは竹富町、与那国町にもいえる。これまで、図書館問題と真しに向き合ってきたとは到底思えない。
離島県の離島における図書館とはどうあるべきかを真剣に取り組んでほしい。
井戸を掘った人の恩を忘れるな??ということわざがある。
八重山図書館をつくるために奔走した安東重起島司や、台湾の石坂文庫から本を借りて、児童たちに夢を与えた岩崎卓爾、戦争で兵隊の焚きつけや、トイレットペーパー代わりにされた図書。戦後、図書館再建に尽力したひとたち。琉球政府から、沖縄県へ、少ない予算のなかで奮闘した職員たちに感謝したい。
戦後八重山で出版された本。故牧野清氏が寄贈した戦後八重山の新聞綴り。貴重な郷土資料が書庫には眠っている。八重山分館は宝庫なのである。
そんな一世紀になる図書館を、沖縄県教育委員会が、理由にならない理由、詭弁と詐術、問答無用に廃止に至ったのは痛恨の極みである。
これは、沖縄県図書館行政の最大の汚点として記録し、沖縄県教育委員会と沖縄県立図書館に寄贈したいと思っている。
それにしても、最近、教育委員会という文字を見るだけで反吐が出そうになる。図書館問題、教科書問題、腹が立つことばかりだ。