石垣島の手踊りエイサー(その2)

石垣島の手踊りエイサー(その2)
石垣島の手踊りエイサー(その2)

古式ゆかしい田嘉里エイサーの伝統を映像記録に残し、伊野田開拓移民60周年を祝した昨年の10月30日(日)。
 集落の皆さん、特に現役を退いた移民1世の方々には、格別な1日だったかもしれません。僕自身も手踊りエイサーとの出逢いが嬉しくて、朝からそわそわしっぱなしでした。
 実際、踊りも素晴らしかったのですけれど、エイサーを支える周りの皆さんにも心奪われました。
 かりゆし~♪ かりゆし~♪と入場してきたエイサーに合わせて、ゆったりとハンカチーフを振り、にこやかに踊り手を迎えるオバァたち。目を細め、腕組みをして踊りをチェックするオジィたち。
 パイプ椅子に深く腰掛けた先輩方も、本当に様々に楽しんでいらっしゃいました。踊り手を真っ直ぐに見詰める人、涙グルグル~しながら手だけで踊る人、目をつむって、ずーっと唄っている人。羨ましくも、何か切なき情景でした。
 さて、その手踊りエイサーのレパートリー18曲。これがまた独特で、今の太鼓エイサーではほとんど踊られない曲ばかりだったと思います。その日、僕自身が確認できたのは、久高万寿主、前田節、海のチンボーラ、バル水ぬクイチャー、唐船ドーイだけでした。他に聴き覚えのある歌詞は…、カリユシ~カリユシ…ヌンヌクソイソイ…三村のアングヮタガ…など。ここらへんは飯田泰彦さんや地元の方々に教えていただかないといけませんね。しかし…自分で17年近くも踊ってきた『仲順流り』に、なぜ気が付かなかったんでしょうか…、不思議です。
 その日の帰り際、エイサーの中心となった期成会長の仲原清正さんは僕に向かってこう仰いました。「伊野田集落のエイサーは、争ったり競争したりするエイサーじゃないんですよ」。その言葉通り、上品で、粋で、艶やかなエイサーが今に生きていました。
 伊野田開拓移民60周年を機に、地元での保存・継承が滞りなく進む事を強く願いますと同時に「珍しい貴重な手踊りエイサーだから…」と外部から調査が入る暁には、田嘉里の伝統と、伊野田の開拓の歴史に深い敬意を持つ人に研究していただけるよう、心から祈りたいと思います。
 僕自身には何の力もありませんが、東京でエイサーを踊り続ける仲間や、伝統芸能をこよなく愛する僕の良きライバルたちに「石垣島には、伊野田にも素晴らしいエイサーがあるんだよ」と、伝えていこうと思います。
 すでに販売されているであろうDVDを買って、じっくりと観て、色々と確かめなきゃいけませんね。それでは、以上をもちまして『伊野田の手踊りエイサーレポート』を終わりたいと思います。
 拙い文章に最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。また機会がありましたら、レポートさせていただきたいと思います。

花岡 亨

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