溽署の東京、渋谷駅構内の岡本太郎の巨大な壁画をみて電車を乗り継ぎ、岡本太郎記念館を訪ねた。満員電車や、押されながらひとごみの中を歩いているともうクタクタである。汗はタラタラ、太陽はカンカン、ここは人間が住むところではないなと思ったりする。
岡本太郎記念館は思ったよりこぢんまりしていた。ここは一九五四年から岡本が自宅兼アトリエとしていたという。アトリエや展示室が公開され作品をゆっくり鑑賞することができた。庭にはさまざまなオブジェが置かれている。
赤や黒、黄、青、緑などの色彩が激しく踊る。陶器も激しい。「この宇宙・万象にみちたエネルギーがはしる線の生動とともに根源的に開放され、また凝結するのだ。芸術とか文化が、絵、書、文学、哲学、科学、等々という風に分化される以前、そのようなエネルギーは直接的に、あらゆるものにみちていた。今日、とにかくさまざまの意識に邪魔されて、それを感得しにくくなっているが、実は誰でも心の奥深くに、そのなまなましい思い出が生きているのだ。だからこそ、パッとひらめき出た形は無条件に、解読を越えて、生命感として迫ってくる」(『川崎市岡本太郎美術館所蔵作品集TARO』)。
岡本の作品やことばが力強く迫ってくるのはそのためであろう。だが、原色に囲まれたサロンや庭の作品や岡本の「芸術は爆発だ」というミーピカリャーの写真を見ていると、とても僕はこんな家には住めないと思った。疲れるのである。岡本にお前老人だなと嘲笑される気がした。岡本は「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」(同上)という。
ここちよくあってはならないというのだが、世の中にはここちよくあってもいい時も必要だ。長野安曇野の「いわさきちひろ美術館」をみた。教科書や絵本でなじみの画家だが、原画をみるのは初めてである。線や水彩の色のにじみに感動。彼女の色彩感覚は安曇野や上高地、アルプスなどの風土が生みだしたものであろう。
沖縄県立美術館で開催された「印象派の誕生フランス十九世紀絵画の流れ展」も観た。ドラクロワ、コロー、ミレー、モネやルノワール、クールベ、ゴッホ、ローランサン等の七十八点の作品に圧倒される。田園風景から生唾を思わずのみこんだ裸婦など画集でしか見たことのない作品である。一日中爽快な気分で、ムンクを見て来たばかりだと言う友人の話に酒もすすんだ。
ヌチグスイ(命の洗濯)をして島に帰ると「教科書」選定で大騒ぎだという。なにしろ新聞もとらないからとうぜん読まない。たまに日付が遅れた新聞を読むくらいである。だから情報はほとんど入らない。
さて「教科書」問題、知人が持参した資料に目を通す。玉津石垣市教育長が規約を改正し、御都合主義のひとたちを教科書採択協議会の委員に選任し、沖縄戦の集団自決の軍命を明記していない育鵬社や自由社の教科書を採択する工作をしているとのことである。
玉津なる者は育鵬社や自由社の教科書について問題はないと述べている。採用についても風評だと述べている。問題はあるし、教育長たるものが詭弁を弄し策略している姿は見苦しいのだ。このような教科書を採択することは、八重山内部から平和を積極的に否定する役割をこどもたちに背負わせることであり、許し難いといわざるを得ない。教科書問題で騒ぐなといっている者たちは木をみて森をみないような者たちで、問題の本質を意図的に隠蔽や画策している者たちである。自衛隊配備、尖閣問題と関連してみると、その流れが危険なものであることは明白だ。ところで、僕は日本の教科書は沖縄の歴史を正しく記述していないと思っている。正確に記述すれば国家の悪行が暴かれるのである。一番それを恐れているのが文科省であろう。沖縄の児童生徒に国家幻想を断ち切られては日米同盟どころではないだろう。沖縄の教科書は国家を否定し非国民を生みだす教科書であるべきである。