47~48年前、まだ美崎町がなかった頃は、市役所通りより南は海で、干潮時にはたくさんの子どもたちがそこで遊んでいたそうだ。大原正啓さん、安里隆さん、平良栄一さんたちは小学生だった当時を楽しそうに振り返った。
商業地域をつくるために埋立てられ、美崎町が完成したときに、大川に多くあった商店や卸屋は美崎町に移転し、通り沿いにはホテルやパチンコ屋、割烹やクラブ、卸屋が並び、活気に満ち溢れていたという。現やいま大通り会(旧美崎大通り会)が西表孫知さんによって設立された当時、お店を営んでいた人たちが会員となり、年に一度商工祭を行い、多くの人が提灯を持って行列に参加した。
「当時は、通り会活動という特別な事業は行っていませんでした。皆が皆、茶のみ友だちで、交流があったので、それ自体が通り会活動でした。商工祭が現在の石垣島まつりの前身で、各店舗名が書かれた提灯を持ってパレードをしました。花車も登場し、踊りや仮装行列でにぎわっていましたよ」(大原さん)。
「やえやま祭りと球技大会が年に2回の大きな行事でした。祭りがピークだった時期は、店主や関係者が参加することで、熱気がありとても盛り上がっていましたね。互いに競争意識もあり、花車も派手に飾りつけたり、いろいろと手の込んだものもありました。祭りは本当に大規模なイベントでしたが、年々参加者が減少し、アルバイトの高校生を雇って祭りを続けていた時期もありました」(安里さん)。
「私が会長になった頃には、時代の変わり目で、メンバーも変わり、祭りへの参加者も減少してきました。結果、祭りはなくなり、一大イベントがなくなったために、通り会も活動しにくい状態でした。しかし、10名ほどで集まり、模合を行うようになり、地道に人との繋がりを築いていきました。それが現在に繋がっていると思います。また、大城会長に引き継いだ4~5年前から始まった通りの清掃活動でさらに多くの人が参加するようになりました」(平良栄一さん)。
現在会長を務めているかみやーき小かまぼこ店の大城文博さんと副会長の平良静男さんは、歴代会長のサポートのもと、通り会の発展と地域貢献に向けて様々なアイデアを出し合い、盛り上げていく活動をしている。中でも月に一度の清掃活動と各店の前に立つヤシの木に飾られたクリスマスイルミネーションは通り会の代表的な活動だ。アイデアを行動に移していく大城会長と平良副会長、そして、彼らの活動に賛同し協力する地域の人。強制的に参加してもらうのではなく、隣同士の付き合い、人と人との繋がりで成り立っている部分が大きい。八重山の島ならではの会だと思う。
「前会長や先輩たちが協力し、サポートしてくれるので、やいま大通り会は現在まで受け継がれています。地域の活性化や清掃活動、ロッテキャンプの誘致や新しい企画を練っていきたいです。アイデアを具体化し、実行することが一番効果的だと感じています。現在、やいま大通りを定期的に歩行者天国にし、地元、観光関係なく多くの人が楽しめる場所があればと思い、実行に向けて動いています。必ず実現させたいです」(大城さん)
「様々なアイデアを一人でも多くの人から提案していただきたいと思い、酒の場だけでなく、『素面の会』と称して、昼間の集まりも積極的に行っています。アイデアの具体化、現実と理想の両立が大切だと思っています。今後のやいま大通り会の活動目標としては、たくさんの花を植え、地元の人も観光で訪れる人も心地よく楽しめるような、明るい街づくりに貢献していけたらと話しています」(平良静男さん)。