国が変われば、姿が変わるとはこのことなんだろうと、異国の旅で感ずることがある。 団体旅行で海外へ出かけるのに、コンパクトで限られた時間内で訪問国の名所、歴史的遺産や景勝地を訪ねるのは合理的である。
現地到着後は、貸切バスでの訪問がほとんどである。そこでトイレタイムは、どうしても確保しないと大変である。人それぞれの体調や事情があるので添乗員は、常に気配りしなければならない。
八十年代の中国のトイレは、男女の区別あるものの囲いがなく大も小も、一同に並んで用を足したものである。世界的観光地の万里の長城でも、そう思いきや、ここは。有料で紙まで購入しないと用ができない。観光地でトイレが有料とは、本当にビックリ。よく考えてみれば、当たり前と思えるようになった。
アメリカの夜の店では、黒人がトイレ入り口で使用料を受け付けていた。イタリアのピサの斜塔では、瀟洒(ル・しょうしゃ)な一軒屋のトイレが、遠く離れた場所にあり、到達するまでに忍従した。トイレは全館クーラーが利き、受付カウンターがあり、お金を払ってからしか入館できないのである。入場料は、現地通貨に限っているので持ち合わせのない御仁は、用たしができない羽目となる。
ノルウェーでは、ドアの入口のノブ上にコイン入れがあり、一人入る毎に投入するようになっていた。最も難渋したのは、男性小用の器の高さ。届かないのである。背の低い男、否、足の短い人は気の毒である。「つん立って」頑張るしかない(笑)。
「処変われば、品変わる」とは、このことに如かずといえよう。
蛇足ながら、小さな子どもたちは、どうするんだろう。それは、百聞は一見に如かず。