「悪い」でも「飲む」喫煙の話

「悪い」でも「飲む」喫煙の話

モノが語る八重山

喫煙に百害あって一利なし、禁煙、分煙が今ほど叫ばれる前から、禁煙主義者は叫んできた。熱心な喫煙ネガティブキャンペーンによって、おそらくほとんどの喫煙者は喫煙が有害であることを知っている。
 だが、それでも喫煙者がゼロになることはない。何故だろう? 体に悪いこと、良くないことと知っていても、それでもやめないのは何故だろう?? 理由は分かるような、分からないような、何となく同感できるような、そんな気がする。言葉にはし辛いが、そんな話は喫煙に限らずよくある話である。また今に始まったことでもない。
 ついこの間まで、沖縄も宮古も、勿論八重山も、島には喫煙者ばかりだった。だが彼らは、喫煙の害に無知だった訳ではない。面白いことに、当時の琉球では喫煙は良いものとされていなかったらしい。
『八重山蔵元絵師画稿集』の中に夫婦喧嘩を描いたものがある。妻は夫の髭を掴んで引き倒し、その手には夫のキセルが握られている。この絵はキセルを悪者に描いているが、別にキセルが悪いのではなく、キセルを使って行われる喫煙が悪いのだ。この絵の中で、キセルは喫煙の代表として怠惰・放蕩を象徴している。そして理性的な人々によって腕尽くで奪い去られなければならなかったのだ。
 一方で、この絵には喫煙に対する反省の色が余り見えないようにも思われる。それはこの絵に笑いの要素が入っているからだろう。過去を探っていると、人間が現代に繰り返している同じ営為に出くわすことがある。実際、この絵が描かれて後も、八重山の人達はキセルで喫煙し続けたのだった。

石井龍太

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