父親としての私は商社勤めの「仕事人間」としてがむしゃらに働き、子育ては全面的に妻に任せていた。ニューヨーク転勤になったのは子供が小学生と中学生。夏には何とか休みを取って広大なアメリカの国立公園を車で走るなど、ようやく家族とも一緒の時間が持てるようになった。
娘は小さい頃からピアノを習い、4歳離れた弟は姉の練習を傍らで聴き、いつの間にやら楽譜も知らずに耳コピでピアノを弾いていた。多感な年頃の5年間をアメリカで伸び伸びと過ごした姉弟は、音楽大好きに育ったようであった。
帰国して高校に入った息子はバンド活動を楽しみ、大学でも12名のビッグバンド「SKASKA CLUB」のサブボーカルとして全国ツアーも。このスカスカクラブの音楽には力と勢いがあり、若者の音楽に無関心であった私もいつしかライブに駆けつけ、ドライブにはCDをかけ通し、と彼らの音楽に引き込まれていった。この学生バンドは、インディースで数枚のCDをリリース、累計で15万枚ほどを売った。卒業後の12名は、それぞれの生き方を求め、バンドは休止。
息子は、弁護士目指して司法試験にチャレンジ、過酷な勉強の為に音楽をすべて捨て、3年かけて司法試験に合格した。親戚中皆が当然弁護士になるものと期待したが、彼は、やはり音楽が捨てられない、若い時にチャレンジしてみたい、と覚悟を決め、ロッカトレンチを立ち上げる。
息子の矜持は、自分らは(歌手ではなく、音楽屋でもなく)自分たちの音楽を産み出し、奏で、歌うアーティストであり、ミュージッシャンである、音楽というジャンルの芸術を追求している、ということだ。
昨夏、華々しく石垣島凱旋ライブも催したロッカトレンチ、どこまで行けるのか、父親としても楽しみであり大いに応援もしている。