ああ、「黒島口説」

ああ、「黒島口説」

黒島の地で生まれた誇りの中で

「黒島口説」のことを思う時、何とも言えない高揚感に包まれます。あのウチナーグチとシマムヌイ(黒島語)が見事に共存している歌詞、あの前半部分が囃子部分に移行する際の、いっときの静と転調ともいうべき曲構成、あのユーモラスな振り付けが頻出する踊り…。私の中に何やらムズムズと黒島DNAが動き出すのを覚えます。
 そんな黒島口説を、関東の地での郷友会活動として、メンバー四人が、主婦業も仕事もしている中で集まって手合わせをするというのは並大抵のことではありません。人揃えをする身としては、「アガヤー、ヌーティドゥ、アヤーアワリバスッカヤ」(あーあ、どうしてこんな苦労をするのかしら)と何度つぶやいたことか。しかも、師匠がいるわけでもない、ビデオテープを見ながらのあーだ、こーだとお互いを指摘し合いながらの稽古です。つい最近になって、第三者の目からのかなりのダメ出しを受け、今更ながらにこの稽古方法の弱点を思い知らされたものです。しかし考えてみれば、これこそボランティアである郷友会活動の理想的な姿ではないかとも思ったりします。稽古の合間、あるいは終わってからのゆんたくでは、島での思い出話に花が咲き、心は一気に故郷に飛びます。
 それやこれやで、この数ヶ月間の懸念事であった東京八重山郷友連合会十周年記念芸能公演での「黒島口説」も無事に踊り終えました。ドゥミンガして(怒鳴り叫んで)囃しつつ無事に舞台の袖の中に入った時の開放感よ。
○いざ我は黒島の地に生まれしぞ 
「黒島口説」を囃子つ踊りつ

大川 安子

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