狂騒の石垣市長選挙も終わり、現職落選、新人当選という結果となった。
五千票という票差は長期政権への批判票と、新人のフレッシュへの期待感、公明党票の新人への雪崩などが原因であろう。用意周到に計画されたブログ問題なども挙げられるはずだ。それにしても、〈革新〉の無策には驚くばかりだ。公明党の平良、大石票が減となり、長期政権やブログ問題への批判票、中山の人脈や個人人気からすれば素人が考えても拮抗どころか敗北は必定であるはずだ。泥を被る策士もいなく〈前頭が横綱に勝てるわけがない〉と票読みをしていたと聞くにつけ唖然とする。驕れる者久しからず革新終焉である。
一九四八年から始まった石垣市長選挙は親米派の琉球自由民主党の牧志宗得氏(三期)、石垣用中氏(二期)、石垣喜興氏(一期)と保守王国が続き、「民主党に非ずんば人に非ず」という反対派にとっては窒息しそうな冬の状態が続いた。一九六八年革新の屋良朝苗氏が主席に当選し、革新勢力の上げ潮の中で、革新の桃原用永氏が当選した。その後、内原英郎氏(四期)が務めたが半嶺當泰氏(一期)に敗北。しかし、革新は大浜長照氏を擁立し再び市政を奪還し四期を務めた。五期はやはり鬼門である。大浜市長御苦労さま、中山新市長はどのように舵をとるかお手並み拝見である。政権交代時期には猟官熱と利権屋が沸騰する。市民はそれを十分監視すべきである。
さて、最近の政治屋や官僚は主権が国民にあることさえも忘却しているのではないか。日本国憲法はその前文で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存ずることを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その権利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と記している。
日本の政治家や官僚(地方の県や市町村)は〈国民主権〉を忘れ、国民に横柄、横暴、虚偽や隠蔽、脅し、献金要求などを平然とやってのけている。
以前、壺中天地で民主党政権が日米の密約を暴いてくれることを期待すると書いたが、やはり密約があったことが明白となった。
外務省有識者委員会は一九六〇年日米安保条約改訂の「核持ち込み」、朝鮮有事の「在日米軍の出動」、沖縄返還時の「軍用地原状回復肩代わり」の密約を認定したのである。
ところで、有識者委員会は沖縄返還後の沖縄への「核再持ち込み」についての日米首脳の合意を「密約とはいえない」と断定している。
それではなんであろうか。沖縄返還は「核抜き本土並み」といいながら、その裏では米国の沖縄への再核持ち込みを「事前協議が行われれば遅滞なく要件を満たす」と約束した佐藤栄作総理大臣は国民からそれを信託されたであろうか。それこそ憲法を踏みにじり沖縄県民や日本国民を欺いたことは明白である。しかも、その合意議事録が佐藤氏の遺族の元にあるというのはどういうことであろうか。そんな人物がノーベル平和賞を受賞し、国民葬をされたのである。佐藤の要請で核再持ち込みの密約交渉を行い、国民を欺いた呵責から自殺未遂や、死の巡礼をした若泉敬。癌に侵されながら、沖縄返還時の首相の顧問?であった大浜信泉の墓参をして虚偽を詫び生家にインド菩提樹を植樹した。国家権力に人生を奪われた男は「密約とは言えない」という見解を泉下からどのように思っているのであろうか。憲法を踏みにじり、民主主義を破壊し国民を欺いてきた総理大臣をはじめ、官僚、政治屋は厳しく糾弾されるべきであろう。国民主権よりも、米国に媚へつらう政治屋や官僚も一掃しなければならない。彼らと癒着した評論家や識者の奴顔(寺島実郎-植民地状況に慣れきった顔つき)も同断である。