黒島の伊古浅橋は平成十七年に国登録文化財に指定された。建造された年は、昭和八年頃の着工で約二ヵ年の歳月をかけて(故)玉代勢太郎氏(元竹富町議会議長)が陣頭に立ち竹富町の予算にて島民総出で仲盛御嶽周辺より石垣(=アザ)を採集し、昭和十年頃に完成され、渡り始めは比屋定家三世代が選ばれたと伝えられている。伊古集落北海岸より沖合いの方へ突き出た約三百米余の長さは、当時、沖縄県で最も長い桟橋と言われていた。そこは遠浅のため長い桟橋となったであろう。潮の干満を問わず安心な海水浴に適し、冬の干潮時には“アーサ”が沢山採れた。さらに大量の“ピラクヤー”(=凍えた魚)も上がり春夏秋冬においても島の若者や観光客の昼夜のデートの場所でもあり何組ものカップルが誕生している。桟橋の突端から眺める景色には、眼前に西表島・小浜島・竹富島・石垣島が見え、夕陽をバックに“サバニ”が揺れ浮かぶ光景は何とも言えない美しさである。夜は“さざ波の音に月明かりの静かな海”で天からは“流れ星”が光、遠く石垣島からは繁華街の明かりが眩しく見える。初日の出を迎えるにしても最高の場所だと思う。生まれ年の島人の同窓会には皆が懐かしんで桟橋を歩いている姿が多々見受けられている。昔は豊年祭の“パーリー”もここで行われていた。また、一時は興進丸の船着場でもあり、第二次世界大戦の島出身兵隊の出兵桟橋にも私用された。完成してから実に七十五年間も現存し風雨と闘い戦前戦後の島の歴史に貢献してきている。当時、機械もなく手足労働により建造に関わった島人達の労苦に対し“よくぞ造ってくれたな”と感心の念である。最後に、人々に「島で一番の名所は?」と訪ねられれば、即座に私は“島で最も心の安まる場所”“伊古桟橋”と答えることにしている。
伝承協力・船道賢範氏