この度、明石在の掘井さんよりバトンタッチを受けました。
意味不明の文章もあるかと思いますが、一年間、どうぞよろしくお願いいたします。
私が、南へ南へと故郷から離れ、ついに約千八百キロも離れた石垣島まで来たのは三年余り前のことです。
こちらでは、少しばかりの畑仕事をしたり、時には船で出て魚釣りをしたりシュノーケリングをしたり、また、離島巡りや、市民会館で行われる郷土芸能、各地で行われる伝統行事を楽しんだり、そして伊原間の集落で行われる伝統行事にも参加しながら、のんびり暮らしています。
こちらの自然の美しさは、言うまでもありませんが、折角育てた島バナナやパパイヤ、パッションフルーツ、スターフルーツ等の果樹は台風で倒され、また実った果樹の実はカラスにやられ、野菜にも虫が付き全滅することもあるなど、自然の美しさを堪能すると同時に、自然の厳しさを痛感しているところです。
私が住んでいる伊原間を簡単にご紹介しますと、伊原間は、石垣島の市街地から北へ車で約四十分。石垣島の北部、平久保半島の付け根にあって、集落の北側ははんな岳、南側は金武岳、そして東側は太平洋、西側は東シナ海と、海と山に囲まれています。
よく、観光案内のパンフレットに、「玉取崎展望台」からの写真が紹介されていますが、そこに写っている小さな集落が伊原間です。
市街地からこの地区へ来ると、写真のように、太平洋と東シナ海の間がキュッと細くなっています。
この細くなっているところは、その昔、船を担いで横断したことから、船越(フナクヤ)と呼ばれ、近くのバス停も「船越」と言います。
この名残は今でもあり、毎年、旧の五月三日に行われるハーリー(海神祭)でも、先ず、ハーリー船を東の太平洋から西の東シナ海に担いで運ぶことから始まります。
現在、伊原間の人口は195名ですが、明和の大津波があった一七七一年には、七百人を超える人が住んでおり、大変賑わっていたそうです。
この伊原間には、元々地元の方、また、沢山の内地からの移住者やUターン組が住んでいますが、居住者同士が生活の場で上手く噛み合っており、人間関係で苦労することも全くなく、楽しく生活をしています。
石垣島の北部の見どころなどについては、またご紹介したいと思います。
どうぞ皆様、北部にも遊びにお出掛け下さい。