星野の開拓者たち 

星野の開拓者たち 
星野の開拓者たち 

金城茂子さん 84歳   大宜味出身
昭和30年2月星野に入植
当時29歳                                   金城輝政さん、茂子さん夫妻は大宜味の喜如嘉出身。昭和27年8月、第一計画移民として西表島の大富に入植。未開拓地であった西表島には木々が生い茂り、ジャングルだったという。大宜味から持参した限られた食料と家財道具で生活したそうだ。西表島の土は肥えていたため、陸稲やバナナがたくさん育ったが、イノシシや台風の被害に悩まされた。「台風で大きな被害を受けた後、畑に新芽が芽生えるのを見た時はとても嬉しかった」と当時を思い出す茂子さん。第一次大宜味先遣隊が星野に入植して5年後、金城夫妻は4名の子どもと祖母と共に星野に入植した。開拓5年が経った星野は、生活も落ち着いていて、まわりの人たちは、後から来た金城さん一家にとても親切で、様々な面で助けてくれたという。星野では、陸稲や落花生の栽培、また、大宜味からの援助によって、各家庭で黒豚が養われ、食用としたり、子豚は売ったりして生計を立てていたという。女性は川で洗濯をしている時の井戸端会議が楽しみであり、忙しい生活の中での息抜きだったそうだ。

「八重山に来て良かった。住めば都。今いる場所が一番。昔の苦労が今の喜び」(茂子さん)

戦争で生死の境目に立ったことがあるからこそ、輝政さんにとって、自由に暮らせる新しい土地への入植は、苦労ではなく、希望だったに違いない。

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