二○○九年は二十数年に一度の閏五月がある年だった。
八重山では、旧暦の五月十五日の満月の晩にオカガニが群を成して浜辺に下りる習性が古くから知られている。雌ガニが腹に抱えた卵は、始め卵黄に満たされているが、やがて眼点が現れ、エビのような形となって卵膜の中にうごめくまでに発生が進む。海岸近くの陸地に深い巣孔を掘って住むオカガニは、卵が、いざ孵化しようという段になると、意を決して普段現れることのない浜辺に姿を見せ、夕まぐれの汀に突進するや、波によろめきつつも、しっかりと脚を踏ん張り、腹を上下にあおり、仔を海に放つ。黒煙のような塊となって海中に放出された幼生は、数週間プランクトンとしての浮遊期を経た後、何処の浜へと帰ってくる。
ところで、陸上に暮らすヒトは、新暦と旧暦に従ってその年その年を暮らしている。新暦が太陽暦であるのに対し、旧暦は月の運行に重きを置きつつも太陽暦を取り入れた太陽太陰暦である。月の満ち欠けに要する一ヶ月は約二十九日なので、太陽暦とのずれが次第に大きくなる。そのずれを調整するために挿入される新たな一ヶ月が閏月であり、季節の巡りと年の暦とが大きく乖離することのないよう考え出された工夫である。では、オカガニにとって旧暦の閏五月はいかなる意味を持つであろうか? 私はその一事を念頭に置いて、数年前から大潮回りの夜毎にオカガニの数を記録していた浜辺に、その年も通うことにした。
まず旧暦五月の月夜回り、オカガニは例年通り浜に下った。しかし、その数は前年よりも少なかった。そして旧暦の閏五月の満月の晩にもオカガニは海に下ったのである。その顔ぶれに、前の月に幼生を放出した母ガニは含まれていなかった。オカガニは二隊に分かれ、ある者は五月に、ある者は閏五月に浜に下りるという習性を示した。オカガニもまた、地上の温度と日長を支配する太陽暦と、潮の干満を司る月の暦を知り、閏五月がある年には二月にまたがって幼生を海に放つという知恵を示した、とも言える。
海外からの研修生に講義をした後で「お国にはオカガニがいますか」と尋ねたところ「いる」と答えたのはパラオとトラック諸島から来た二名だった。彼らは異口同音に「満月の夜、浜に下りる」と言った。「それが何月なのか記憶にない」とも。今、八重山にオカガニが分布するのは、いつの昔か熱帯の島からたどり着いたカニの幼生がいたからに他ならない。オカガニの本場とも言える正真正銘常夏の島々で、どのような時期に集団で浜に下るのか。それを知ることは、八重山で旧暦五月の月夜を選んで浜に下りる習性の背景について深く掘り下げることへとつながっている。