金城 信秀さん

金城 信秀さん
金城 信秀さん
金城 信秀さん
金城 信秀さん

人口1647人。車でまわれば一周一時間もかからない島。高校のない与那国では、中学を卒業するとみな一度は島を出る。戻ってくる人は少ない。しかし、帰ってきた若者たちがいる。日本の最果て、自立を選んだ国境の島、与那国。故郷のために、島の発展のために、なにを思い生活するのか。島の若者にスポットをあてる。 ※人口は平成20年9月1日現在

金城 信秀(きんじょう のぶひで)さん
那覇工業高卒業後、東京の自動車の専門学校で学ぶ。その後、横浜で整備士として働いたのち、2006年に帰島。祖納青年会会員。

≪島のためにと感じることができる≫
 工事現場で作業をする重機への燃料の補給。パンクなど、車やバイクなどの簡単な修理。横浜で働いていた時とは違って、仕事の相手は知り合いばかり。島のためと感じることができ、やりがいを感じるという信秀さん。2年前に島に帰ってきて、家業のひとつを継いだ。信秀さんの実家は、与那国特産の花酒「どなん」の酒蔵でもある。

≪島の人たちの安定した生活「安定供給は必至」≫
そして、島の電気も水道も動かしているのは金城さん。燃料がなくては電気も水道も動かない。もはや与那国の生活の一端を担っている。「安定供給が当たり前。でなければ、島の人たちが生活ができなくなってしまいますからね」。
 しかし、燃料も高騰。島の多くの職業の人たちのところに影響が出ていることも身近に感じる。

≪やっぱり島で≫
 結婚を機に奥さんと島に帰ってきた信秀さん。今後、わが子が成長する環境などを考えたときに、「やっぱり島で」と思ったという。島では誰もが、どの子がどこの家の子だかわかる中で、みなに見守られながら育つ。島の子どもたちの遊び場は、ほとんど海や山など自然の中。自分もそうだったし、わが子もそういうふうに育ってほしい。今、信秀さんのふたりのお子さん信輝くん(2歳)とゆいちゃん(6ヶ月)はスクスク育つ。
「今は自分の生活でいっぱいいっぱいですけど、島のためになにかできることは今からじゃないですかね」。そう話してくれた。

笹本 真純

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