川田 智志さん

川田 智志さん
川田 智志さん
川田 智志さん

人口1647人。車でまわれば一周一時間もかからない島。高校のない与那国では、中学を卒業するとみな一度は島を出る。戻ってくる人は少ない。しかし、帰ってきた若者たちがいる。日本の最果て、自立を選んだ国境の島、与那国。故郷のために、島の発展のために、なにを思い生活するのか。島の若者にスポットをあてる。 ※人口は平成20年9月1日現在

川田 智志(かわた さとし)さん
浦添高校卒業後、那覇や東京でアルバイトをする。21歳の時に帰島。一級船舶免許を取得し、父親の船で修行。今に至る。久部良青年会会員。久部良公民館役員。

≪第六智美丸≫
 去年造った新艇で海に出る川田智志さん。今は、漁に出る他に、観光客向けの体験漁『遊業』もしている。本土から年に4、5回来るお客さんもいるという。
「まだまだです。海人は自然との闘い。これができたら終わりってもんじゃないし」と話す。
 今、与那国での深刻な問題のひとつである、海人の後継者不足。今の与那国で一番若い海人が智志さん。おじいさん、お父さんと海人で、三代目。高校進学で島を出る前から、島に戻ってきて継ぐことは決めていた。

≪親父を尊敬してる≫
 現役海人の、お父さんの一正さんはつねにライバルであり、尊敬の人。
 初めてひとりで船を出して漁に出た時、一正さんには言わずに、お母さんのカズ子さんにだけ言って海へ出た。智志さん23歳の時。一正さんはずっと「まだ早い」と行かせてくれなかった。その結果は、初めてにして80kgと97kgのカジキを2本釣り上げ、家に帰ってきた。その夜は一正さんと乾杯して、ふたりでボロボロ泣いたという。
 智志さんには、奥さんの薫さんとの間に、3歳と1歳のふたりの娘さんがいる。「自分に子どもができて、初めて親父の気持ちがわかった」。

≪この仕事は誇り≫
「カジキは与那国のブランド」。この仕事を誇りに思っている。今与那国にいる海人は30名ほど。しかし、後継者がいない。この先、与那国から海人がいなくなってしまうかもしれない。与那国町漁協では、Iターンの受け入れの実績もあり、今は2人の県外出身の海人がいる。自分の次となる、海人になる若い人が出てきてほしい。その願いは切である。
 休みなく海に出る智志さん。「必死だからね」。様々な思いがこもった一言。

笹本 真純

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