西表島東部の前良川と後良川に挟まれた由緒ある村落として知られる古見集落。琉球王府時代の古文書『中山伝信録』『中山世譜』には西表島のことを姑弥と記すなど、王府時代には古見首里大屋子が配置され、政治、行政の中心地だった。
公的教育機関は一八九五年六月一日、大川尋常小学校込古見分教場として創立したことに始まる。校舎は、古見村事務所に接続した小屋が充てられた。学校沿革史をみると、一九〇六年には県令第二八号に基づき、八重山群島学校区域が改訂され、大川尋常小学校から独立した小浜尋常小学校の古見分教場となった。そして一九二四年に小浜尋常小学校古見仮教場、一九二六年には小浜尋常小学校古見分校と改称された。太平洋戦争が勃発した一九四一年には小浜国民学校古見分校、終戦直後の一九四六年には大原国民学校古見仮教場となり、一九四九年には六・三・三制の新学制が施行された。新学制により中学校が発足したが、一九五七年には古見小学校、古見中学校が独立。一九六三年には古見中は廃校となり、大原中学校へ統合された。古見小学校は、その後、独自の道を歩み、一九七一年に由布小学校を吸収統合している。一九九五年には創立百周年の節目を迎えた。
学校創立八五周年記念特集号『まいら』をみると、児童数は一九六一年に三十九人を数えて最も多く、その後、減少の一途をたどっている。現在、児童数十人(男子六人、女子四人)と少なく複式学級で授業が行われている。過去に学校学級新聞コンクール(主催・八重山記者クラブ)で最優秀賞、沖縄県科学作品展では優秀賞に輝いた実績がある。
自信作を手に誇らしげな子どもたちの顔、顔、顔…。田真米三校長と教諭、それに二十四人の子どもたち。満足げに胸を張る。笑顔の表情は、豊かな自然に囲まれ、伸び伸びと賢く、学校生活を送っていることをうかがわせる。