アカマヅ・アガマツともいう。
1447年に与那国に漂着した朝鮮人の見聞録「李朝実録」に、「島の男は髪を畳んで芋縄で束ね、うなじにおく。婦人の髪も長く、くるぶしに及ぶ。頭上に環統し木梳(くし)を鬢(びん)に横押す」とあり、他の島々の身なりもこれに似ていると記されている。
その後、男女ともマーユイ(頭上に大きく丸く結う)になり、1500年ごろから男性はカタカサ(髪を小さく結い2本の髪差で固定する。頭上を丸く刈る場合もある)へと変わった。明治28年に男性の断髪が行われると、400年間親しんだ結髪を落とすことへの抵抗からいろいろな騒動が起こったようである。八重山高等小学校の集団断髪が始まりであった。
マーユイ、束ね髪、おさげ髪と髪を長くしていた女性も、戦後のパーマの普及とともに多様な髪型を楽しむようになった。
艶やかな長い髪は、ほぼ世界に共通する美しい女性の象徴である。八重山でも女性が皆髪を結っていたころは、顔立ちの良さより「髪が長くてきれい」というのが褒め言葉であった。
≪イローラ(イルーラ)≫
髪を結う際、たっぷりとした形の良い髷にするために、自分の髪に足す髪をイローラという。イローラは、長く伸ばした髪を後頭部などの目立たないところから少しずつ切り取って糸で束ね、根元を松やになどで固めて作られる。舞踊家、神司など今も髪を結う人は、自分の髪のものや、先祖から伝わるイローラを大切に持っている人が多い。イミテーションの髪も市販されているが、本物とは結い上がりに差があるという。また、結い方には、うなじの髪を左右から重ねるように上げる結い方や、そのまま上げる結い方があり、後ろ姿に地域の特徴が表れる。
≪髪の手入れ≫
石けんやシャンプーが普及する前は、髪は身近にあるもので洗った。ひとつは川沿いや野山の切り立ったところに層になってある、灰色の粘土(方言ではミタ)である。畑仕事の合間や帰りに粘土を取り、そのまま川で髪を洗ったという。赤土(方言では赤ミタ・赤ンダ)も使った。混じり物が少なくきめの細かい土は表土の下にあり、上質の土があるところには、掘った跡の穴がたくさんあいていたそうだ。
もうひとつはハイビスカスである。葉に含まれる粘り気のある成分が髪の汚れを落とし、髪をやわらかくする。紅芋やさつまいもの葉、胡麻の葉、野生のおくらの葉など、八重山の表現で「よだれの出る」植物はどれもシャンプーになった。
粘土もハイビスカスも、洗い上がりの髪はしっとりとした感触になる。