八重山の笛は六穴七音階構造の明笛(みんてき)で、ピー、ハンソウなどと呼ばれる。中国から伝わったものが、豊富な竹の群生を利用してほぼ原形のまま残ったといわれ、その年代については諸説があり、はっきりとは解明されていない。三線が14,5世紀ころに中国から琉球に伝来したといわれるが、祭りの奉納芸能で笛が果たす役割からみて、それ以前に八重山には三線とは別ルートで笛が伝えられていたのではないかとする説もある。
≪笛の保管方法≫
一般に楽器にとって湿気は敵であるが、笛に関してはその逆である。乾燥しすぎた笛は、気泡が出てこなくなるまで水に浸せば、またよく鳴るようになる。一番効果的なのは泡盛で、口に酒を含んで歌口から注ぎ込むと、湿り気を与え、消毒にもなる。泡盛を呑んだ笛は五感を表現してくれる素晴らしい音が出るという。
直射日光や乾燥を避け、常に一定の湿り気を保ち、きれいな布袋に入れて保管することが望ましい。
≪魂が宿る笛≫
昔から、竹は神秘的な霊力を秘めた植物とみなされ、その節間には呪的な霊威がこもると信じられていたようである。八重山でも、笛は神事において神霊を招く役割を果たす呪具であった。笛の音で座を清める風習は現在にも残る。小浜島の小浜家では盆の送り日の夜半、三線や太鼓は使わず横笛だけでイランドーサが奏でられる。先祖の精霊をお送りするこの笛の音は、月が煌々と冴えわたり、静まりかえった島に響き渡るという。笛が単なる楽器としてでなく、いわば神通力をもつものとして人々と関わってきたことがうかがえる。
さて、沖縄で笛といえば八重山、八重山で笛といえば小浜島である。小浜島はカラダキ(真竹)の自生地であり、島の人は幼い頃から遊びがてらに笛をつくり、見様見真似で吹き始める。笛が先導役を果たす結願祭やお盆の庭の芸能に育てられ、優れた笛吹きが多く輩出するのだ。
石垣島でも市の文化財指定、新川の南の島カンター棒の地謡などと、笛の歴史は古い。
一方笛には、歌三線の伴奏という役割もある。神聖な笛が芸能に彩りを添えるものになったのは、三線導入以後だと思われる。
≪若い担い手≫
市内新川に住む中学2年の黒島新(すすむ)さんは、本格的に笛を吹き始めて4~5年だが、大人に混じって舞台の地謡を立派に務める、将来有望な人材の一人だ。歌三線に合わせて笛を吹く場合、歌い手の声や節まわしの特徴を瞬時に捉え、それを生かす演奏をしなくてはならない。やさしさ、鋭さ、華やかさ。情感の細やかさが問われる世界だ。「舞台に立ち、実際の緊張感の中で学ぶことが多いです。最近、笛と歌、三線が一体となって『これだ』と思う瞬間があった。父(章)が三線教室を開いているので、三線や笛を手にしたのは自然な流れです。好きだからやる。そしてもっとうまくなりたい」と語る黒島さん。こうして伝統芸能の心は受け継がれ行く。
≪笛の作り方≫
竹を切り出すのは秋から冬にかけてがよいといわれ、よく乾燥させた後、湯で煮て油抜き、曲がりの矯正をする。これは竹の微妙な変形も、音色や音程に影響するからだ。更に影干しにして、作業の開始だ。
上記の寸法で6つの穴を等間隔にくり抜く。これを歌口に近い方から左手の人差し指、中指、薬指、右手の人差し指、中指、薬指と押さえることになる。竹の太さにもよるが、歌口からひとつ目の穴への長さが12センチでおそらくC音階になるだろう。この長さを短くするに従い音は高くなる。右端の穴は音程を一定に整えるための調子穴だ。さて笛の命は吹くところ、歌口なのだが、唇の形や厚さは人によって異なるため、試行錯誤の上自分に合った大きさを見つけるしかない。そして歌口の脇0.3ミリ~0.5ミリのところに、詰めものをする。この材料に、昔は紙を丸めたものを用いたようだ。要は空気をせき止めればよいので、ゴム、スポンジ、コルクや紙粘土など身近にあるものでよい。歌口との距離が近いと明るい音に、離れると暗い音になる。
出来上がった笛を吹いてみよう。これはあくまでも数字のヒントであり、音色を作り上げるのはあなた自身だ。百の竹は百の音色の笛となる。奥の深い世界である。