来年丸30年を迎える楽器店の親父さんと聞いて根間聡さんに会った人は、そのあまりの若さに少しびっくりするのではないだろうか。今や八重山で音楽に関わる人で知らない人、世話になったことのない人はいないという存在である。
高校時代、自らもバンド少年だったという根間さん。「僕らの学生の頃は、島では時計店などがレコード店も兼ねていたけど、ロック用のギターの柔らかい弦は置いてなくて、手に入れるには友だちとまとめて那覇に注文するしかなかった」。不便さを痛感したところから、「ないなら自分でやろう」と、八重山初のレコード・楽器専門店は誕生した。
22歳の若さで、新妻・まり子さんと二人三脚でのスタート。新婚旅行はメーカーとの契約だったと笑う。わずか4坪の店内は、レコードを並べ、3本のギターに、生まれたばかりの息子を寝かせたベビーベッドを置くと、もういっぱいだった。「狭くて、客が来ても話し込む場所もなかった」ほどだった。
さて、今月末には12年ぶりとなる八重山音楽祭復活の話題が島を賑わせている。現在活躍しているミュージシャンを数多く輩出した伝説の音楽祭だ。そして、この音楽祭の前身である石垣島音楽祭を主宰したのは、実は根間さんだ。
「あるファンクラブの人たちと一緒にアルペジオというサークルを作って、キャンプ場などで音楽祭をやりました。第1回目は、石垣で音楽をやっている人を全部集めて」。しかし、皮肉なことに八重山出身のミュージシャンが注目を浴びるようになって、状況は一変した。本土の大企業が絡み、同時に本土からのプロのイベント屋などが一緒にやってきて仕切るようになり、島の手作りイベントはビジネス的になってしまった。それがいつしか途絶える要因にもなった。
だが、昨年のうたの日コンサートが成功をおさめ、音楽関係者の中から「やっぱり音楽祭がないとレベルが低下する。もう一度復活させよう」という声が上がった。根間さん自身も、運営に関わることで「若手を育てていきたい」という夢を持っている。
「音楽祭は手作りがいい。仲間が集まれば何でもできる。僕らの見えない所でお金が動いているのもイヤだしね。あくまでも地元のバンドが中心になったイベントにしたい。僕が年を取っても孫と一緒にステージに上がれるような…」。
八重山人の肖像
第一回の星美里(現:夏川りみ)さんをはじめとする105名の「ヤイマピトゥ」を紹介。さまざまな分野で活躍する“八重山人”の考え方や生き方を通して“八重山”の姿を見ることができる。