八重山人の肖像

根間 聡

「音楽祭は手作りがいい。仲間が集まれば何でもできる。」    来年丸30年を迎える楽器店の親父さんと聞いて根間聡さんに会った人は、そのあまりの若さに少しびっくりするのではないだろうか。今や八重山で音楽に関わる人で知ら ...

ポール石垣

「朗々と歌って、山にこだまするのが気持ちよくて・・・」    6月末、ポール石垣さんの八重山での久しぶりのライブが市内のイタリアンレストランで行われた。約60名の観客はワインや泡盛を傾けながら、リラックスした表情でジ ...

村中 用三

「雑誌が100冊入ったら2時間で売り切れるほどだった」    ゼブラと書かれた箱を載せたオートバイがトレードマーク。今日もそのバイクで「ゼブラのおじさん」こと村中書店の村中用三さんは市内中を走り回っている。76歳の現 ...

内原 スエ

「私の人生は(大きい鍋を扱う)生りだったかねと思うさ」   「来夏世」で初めてそばを食べたあの日はとても暑かったのに、店内は不思議と風が吹き抜けて、とても心地良かったのをよく覚えている。そばの味もさながら、厨房にチラ ...

島仲 信良

「僕たちはどこに行っても新城人だよ」    人口12名で12戸。定期船はなく、パナリ(離れ)とも呼ばれる小さな島、それが新城島だ。八重山の人でもなかなか訪れる機会は少ない。そのおかげでか、この戸惑うような観光ブームの ...

宮里 テツ

「あなたが書いた文章はあなたにしか書けないから」   春の風と光は懐かしさを呼び起こす。    「42年間学校で過ごしたから、辞めた時は淋しくてしょうがなかったですねぇ。また、家の隣が小学校でしょう、『キーンコーン… ...

新 哲次

「自分の生き様や格闘の年月を形としてまとめました」    人は2つのタイプに分かれるのだと思っていた。話す人と書く人。まるで静と動のように相反するのだと信じて疑わなかった。ところがその単純な考えは一冊の本により改めざ ...

黒島 剛

「何もないところから創りだすことが好きです」    そっと目をとじると、心の中に蘇る鮮烈な映像がある。白い神衣に身をつつんだ神司の神々しい背姿。誇らしげな男衆の顔に、歓喜に満ち満ちた女たちの声。厳かで清らかな聖なる時 ...

宮平 康弘

「長い時を生き抜く“島の命”」    「島、まさに島であること!」。それはゆったりとした間合いの、独特な口調の中で、鐘の音のように響いてきた美しく力強い言葉であった。    宮平康弘さんが現社長をつとめる「南の美ら花 ...

新城 弘志

「こだわりつづけてきた旗頭の立体感」    ハレの日の役目を、平らかに終えた登野城字会の旗頭。私は幸運なことに、繕いの時をじっと待つ『オオゴチョウ(※)』との再会に恵まれたのである。それは年に一度の豊年祭に仰ぎ見るこ ...

比嘉 康雅

「漁業と観光の融合」    二十年ほど前まで、穏やかで静かな護岸端だったとは、とても想像がつかないほど、大通りを行き交う車の群れは、切れ間なく、絶え間なく続いていた。潮の香りをつれて南からそよいでくる、やさしい海風だ ...

上里 直英

「甲子園というのは、雲の上、またさらに上にあるものだったからね」    ちょうど、八重山商工高校野球部が、春夏、甲子園連続出場の切符を手に入れた明くる日であった。私は興奮冷めやらぬ心持ちで、上里直英さんをお訪ねした。 ...

砂川 昌順

「いつ時も、島と外との交わり、そして広がりを」    一九八七年十一月「大韓航空機爆破事件」。実行犯の一人、金賢姫が自殺防止用の白いマスク姿でタラップから降ろされた時の映像は、今でも多くの人の脳裏に焼き付いていること ...

経験したことを全部活かしていけたら

佐久川 歩
さくがわ あゆむ
石垣市吉原出身