対談 目取真俊×大田静男

●目取真俊(めどるま しゅん)
1960年今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部国文科卒業。83年『魚群記』で第11回琉球新報短編小説賞、86年には皇太子来沖を扱った『平和通りと名付けられた街を歩いて』で第12回新沖縄文学賞を受賞する。97年『水滴』が第27回九州芸術祭文学賞ののち、第117回芥川賞を受賞。その後、『魂込め(まぶいぐみ)』で第26回川端康成文学賞、第4回木山捷平文学賞を受賞。

●大田静男(おおた しずお)
1948年石垣市生まれ。「八重山の芸能」(ひるぎ社)で1993年度第14回沖縄タイムス出版文化賞正賞受賞。「八重山の戦争」(南山舎)で1996年度第17回沖縄タイムス出版文化賞正賞、1999年度第18回日本地名研究所風土研究賞受賞。

目取真さんが新聞紙上で発言されているスタンスと、本誌コラム「壷中天地」を書いている大田さんのスタンス。
今の沖縄のとりまく状況や日本の中の沖縄、危うい沖縄の平和について話してただきました。

目取真さんは、小説の題材として沖縄戦のことを扱っていますが。

目取真 俊(以下、目取真)
歴史の観点で、戦後50年、60年が長いか短いかといったら長くはないですよ。実際に沖縄戦の体験者も生きていますし、実際に話を聞くことができます。そう考えても長くないですよ。まして僕が生まれた1960年なんていったら戦争が終わって15年、今は本土復帰から30年経ちますけど、復帰前の記憶もみんな鮮明に持っています。

大田 静男(以下、大田)
「風音」の中でも描かれている、音というのは実際に聞いたことがあるんですか?

目取真
音についてはフィクションですけど。

大田
私はその音ではないんですが、西表島・鹿川の朝鮮人たちが埋められたというその周辺を歩いているときに、ヒューと音が忽然としたんです。独りだったので毛が立って震えました。だけどそういう体験をなんで作品にしようと思ったのですか?

目取真
作品にしようという意志はないですね。イメージの中でできていくわけです。ただ僕にとって沖縄に生まれて、そういったのを身近に見ることができたというのは決定的に違いますね。

大田
今までアメリカの民主主義というものを信じてきて、日本では地金が現れてきたのではないかと言っていますが、でも沖縄に住んでいる者からしたら、そんなものもともとなかったのではないかという気がします。例えば村などで権力とくっついたボスが必ずいて、革新だろうが保守だろうが、権力者にくっつけば生きていくことができるという世界しか今の沖縄の村々は持ち得ていないと思うんです。

目取真
アマタックヮイ、クマタックヮイ(あっちにくっつき、こっちにくっつき)ということですね。

大田
ですから今更騒いでも、どうなのという気がします。これから有事法制も決まったし、次は教育基本法、そうなると憲法という話ももうでてますよね。そのことに一番迎合していくのが沖縄じゃないかなと思います。その中で特に八重山はそうなるんじゃないかな。尖閣諸島の問題があり、台湾、中国の問題といういい材料がそろっています。その中でそれに対抗していく力が、今まさにもう風前の灯どころじゃなく、灯も消えて終わりじゃないかという事態ですよね。

目取真
日本は良すぎたわけですよね、逆に言えば。世界の中には、はるかに日本よりも困難な状況の中で生きてきたところがあるわけです。アフリカなんて少なくとも何百万という飢餓の出る社会であり、日本だけがある意味60年間、戦争もなんにもない状況で過ごしてきた唯一の国と言っていいくらいです。そこで流れが変わって日本が困難な時代になったとしても、世界の平均的な水準からしたらはるかに楽な生き方を日本人はしていくと思います。仮に憲法9条が改正・改悪されたとしてもですよ。そんなレベルでそんな後ろ向き的な悲観的なことを言ってる僕ら自身が、本当はとても豊かなところでの悲観という気もするんですけどね。だからこんなモノカキが政治的な問題に関して発言するとか言いますけど、こんな論議が成り立つのは日本だからですよ。世界のどこの国だって発言しているわけですからね。逆に言えば発言しなかったら自分のスタンスが問われて成り立たないのが普通だと思うんですよ。「お前の考えは何なの?」と問い詰められて、答えきれなかったらその人は失格だというのがアメリカやヨーロッパでも常識なんですよ。日本というのは、生活と政治が切り離せるかのように思い込んでいて、自分のことをやっていれば政治に関してなにも発言しなくても、それはそれで通るわけですよね。逆に言えばそれが通らない時代がくれば、それはそれでおもしろいかもしれないですけどね。もっと政治状況が厳しくなれば、その中でどうやって発言の場を確保していくか、どうやって生き延びていくかみたいなものを真剣に考えるようになれば、緊張感が出て生きる本能が活性化されて、本当は作品などもいいのが生まれるかもしれないですよ。必ずしも政治的に困難な時期は、文学などが貧困かというとそうではないですからね。日本がどんなに反動化したとしても、今のイラクなんかよりはずっとマシな気がしますよ。おそらくは日常的に、人がバンバン死ぬような時代になることはないんじゃないかと思いますよ。全体的に言えば日本はこれから先、第三世界や貧しい国を食い潰しながら、ブクブク太っていくんじゃないかって気がしますけど。日本の中の最貧困層といったって、世界の中ではまだ豊かかもしれないわけですよ。

そういう日本の中の沖縄はこれからどんな風になっていくと思いますか?

目取真
自分なんかで自立しなければ、好きなように食い潰されますよね。本土の資本なりなんなりに。音楽だって芸能だって文学だって、ほとんど向こうの側が来てやっているわけで、沖縄の中から本当に発信しているかと言えばできてないわけですね。

向こう側が感じるイメージで作られていますね?

目取真
映画「風音」だって脚本までは自分がやっていますが、そこから先は本土のプロダクションがやっています。逆に言えば、沖縄の中にそれだけの作り手というのがいないということですよね。本当は沖縄の中から映画監督が出てきて、宮古なら宮古の言葉、八重山なら八重山の言葉で映画を作ってですね、それぞれ字幕をつけて流通するようにできれば、本当に沖縄というものが活性化しているということになるかもしれないですけどね。音楽に関してはそこまで行っている気がしますけど、映像の世界ではまだまだですよね。だから作り手というのが沖縄の中からどんどん生まれて、育っていかなければいけないと思います。だから世の中が乱れて先行きが見えなくなるというのは、ある意味では楽しいなというのがありますけど、ワクワクして。

大田
見えないというのはいいんだけど、戦後の混乱みたいなのはいいんだけど…。逆に今は混乱じゃなくて首を絞めていく方向に向いているわけでしょう。いろんなIT機械を使って、全部管理されてしまっている。もう身動きができないということになっています。すでに昔からの島自体の地縁血縁が絡むと、ますます力の強いところはやりやすいなというのがあります。やはりそこが一番危険なんじゃないかなというか、危険そのものです。

目取真
それは日本という社会の同調圧力といいますか、みんなと同じようにやれという圧力が強い社会ですから。監視国家みたいな形が進んでいけば、昔の隣組みたいな形ができてくるかも。そういった中でどのようにして風穴を空けていくか、どこか届かないような部分を作りだしていくことが問われていると思うんです。単純に過去をくり返すとは思わないんですよね。おそらく違った形で展開してくるだろうし、実際は見てればいろんな人たちが危機感をもって動いてはいるんですけどね。権力を持っている側なり、保守の側も思い通りになっているはずじゃないんでしょうけど。向こうもやろうとしてできないことがいっぱいあるはずなんです。どっかでその流れがジグザグしながら変わったりはしてくるんだろうけど。発言できていろんな行動もできる、そういった状態を守っていかなければいけないし、守るためには発言する以外にないのですよね。しなくなったらしなくなった時点でアウトなわけです。

小説を書くことと発言をすることは、表現の仕方として目取真さんの中では違うんですか?

目取真
何も違わないですよ。「言いたいことを言う」「書きたいことを書く」ということなわけですよね。人に遠慮したり回りを配慮して表現を抑えてしまえば、その瞬間にどんどんぬるくなって丸くなっていきますよね。逆に丸くならない状態を保つには、気力が必要ですよね。意志があって、友だちは作らないとか(笑)。友だちを作ったら馴れ合いになるからとか、それまでやるとなると性格もありますから。独りが好きなものですから、好きなようにできるんですけどね。

同調しないとさらに生きづらくなる?

目取真
山原だって村社会というのは同じなんです。一つの部落の中だったら、みんな昔からの顔見知りですからね。その中でハンジムン(つまはじき者)といいますかね、外れたものを許容する度量みたいなものがありますよね。それが一切認められなくなってしまったら、息苦しい世の中だと思いますけど。部落や村というのは外から来るものに対しては非常に拒絶的な面がありますけど、中にいるものを多少は大目に見るみたいな余裕があると思います。だんだん余裕がなくなったら困りますけど。

大田
この前の天皇が来たときの動きを見てたら、戦争中の隣組というか全部監視ですよね。相互監視みたいなものをしようと思えばすぐできるなという雰囲気。警察官を1000人ぐらい動員して、また地元の退職警察官たちなどいろんな連中が村に入って集落を監視しているわけです。そういうのを見てると、民主主義といっているのは本当なのかなという気がします。今まで革新市政が何年も続いたというのだけれども、そういうことは一つも関係なかったんじゃないかなという気がします。そこに教育基本法の問題とか自衛隊などのいろんな問題が出てくると、一挙に国策を受け入れるという素地ができあがる。それが一番怖いんじゃないかな。いわゆる排除ですよ。異端者をみんな排除していく、あぶり出し方ができるというように感じる。しかも尖閣諸島の問題が持ち上がり、一挙にナショナリズムみたいなものを生みだすきっかけになる可能性が非常に強いということですよね。

目取真
そこでナショナリズムというときにですよ、今、天皇制というものを政府なども苦労していますよね。世継ぎ問題とか皇太子妃が精神的に追いつめられている問題も含めて。彼ら自身も天皇制というものを今後どんな形で存続させて、日本のナショナリティの核にしていくか模索している段階だと思うんですよね。向こうが持っている意図も、ずれながら現実進行していると思います。台湾とか中国を含め国境線の問題に関しても、すでに中国がこれだけ世界で力をもって、あと10数年たったら日本を凌ぎますよね。台湾との関係にしてもどんなふうな形で進むか分からないですけど、戦争状態になるまでの悪化はしないと思うんですよね。そうなったときに、日本は少なくともアメリカに依存する形でしか中国と向き合えない。逆に中国に経済侵略することもできなければ、経済的に対抗することもできないような地位になるかもしれないですよ。そういったのを見ても戦前復帰みたいなものもありえないと思うんですよね。その時に沖縄の側は、最前線で対応していくものとして、東京の方に発言する場を作っていかなければ。

大田
作れるかどうかですよね。作っていく側よりは、むしろ作らせる側の方が非常にやりやすい状況ですね。

目取真
昔から中国は世界の三大国の中で存在しているわけですからね。小さな国が1万回言っても、9999回は何も通らないですよ。だからそれを分かってやるしかないと思ってますけどね。変わってはいるんですよ、もうすでに中国や台湾、韓国、北朝鮮なんかにしても戦前のような植民地支配は絶対できないですからね。逆に向こうが東アジアの中で大きな力を占めてくる状況ですから。

大田
侵略することができないというのはよくわかるんですよ。ただ「尖閣は私たちの国であり、領土だ」と主張し、そこで何らかの事件が起きたときに、一挙に地元の人たちが「ここは俺たちの島だ」と雪崩を打つ。そしてその中で、「国を守るためにはどうするか」というようなことが起きてくる。

目取真
そこで民間防衛組織みたいなものが作られるわけですか?

大田
そうですね。例えば自衛隊協力会議や天皇が来島したときの地域協力会などのようなものが機能する可能性が非常に強いなぁという感じがします。

目取真
ヤバイですよ、それは八重山だけじゃないですけど。例えば僕ら自身が発言したり出版した段階で、逮捕されてしまう社会が来るかどうかという話です。来たら来たで、そういった社会というのは終わるんですけどね。ソ連とか東ドイツがあまりにも監視国家みたいな形でいって崩壊したわけじゃないですから。権力が強固に管理を徹底したときに、そういう国家は強いかといえば、もろい部分も持っていると思うんですよね。本当に国民とか人間とかすべてを支配できると思いますか?

大田
今まではIT的なものがなくて管理ができなかったけど、今からはそういうものを通して管理されていて何もできないというふうになる可能性が僕は非常に強いと思うんです。

目取真
管理するというのはコンピューターとかがなくても、できたわけですよね。人の移動も禁じて徹底的に戸籍制度も強化して、どこに誰がいるかを掌握しようと思えばできるわけですよ。技術はどんどん進んでいきますよ、そういったもので人間をすべてコントロールできるかといったら、技術というのはどこかでアラが出てきて突き崩すものがでてくるわけです。誰かがコンピューターウイルスを作ったり、どこが情報源かわからないようなものがたくさんできてくるじゃないですか。だからグローバル化というのは、内部に矛盾を抱えていると思います。完璧であろうとすればするほど、その完璧を内部から崩していくようなものができると思いますよ。そうでなければソ連や東ドイツなどの国家が崩壊するとは考えられないですよ。だからむしろ悲惨なのは、国民のほとんがコンピューターを触ったことがないアフリカみたいなところですよね。おそらくそういった国がむしろ徹底的に管理されているわけですよ。例えばインターネットやメールなんかで情報交換や情報発信できますよね。それすらもできない郵便も検査されているようなところだったら、それこそ民衆の連帯もなにもありえないですよね。だから今の社会でも、アルカイダなどがメールなど権力の側が作り出した技術を利用しながら、世界の中にネットワークを広げていきますよね。だからそういった癌細胞というものは常にあったと思います。どちらかというと芸術とか文学というのも、癌細胞の仲間なんですよ、絶対に。だからそういったものがはびこってくると思いますけど。

大田
しかしはびこることもできるかな(笑)。そうとう悲観的だな、僕は。

目取真
僕らの世代が死んでいっても、そこから30年ぐらい経ったらいろんな新しいものが生まれてくるわけですよ。逆に生まれてから40年間ぬくぬくと生きてきているわけですよ。一生のうちに1回も戦争を経験しないで死んでいくのは、人類の歴史からすれば珍しいわけですよ。

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