宮本 亜門

今回は「いしがき市民大学」で講話をした宮本亜門さんに話を聞きました。
講話では「琉球発」という演題で、家族のこと、沖縄に移り住んだことなどを話し、宮本さんの楽しい話に受講生のみなさんも満足した様子でした。

―今回の講演を終えての感想を教えてください。

宮本
沖縄でやるときはいつも温かいなと思うんですけど、今日は人生の先輩たちが多かったので失礼にあたるんじゃないかと心配していたんですけど、すごく喜んでもらえた感じがしました。
数人のオバーとオジーが、「いいんだよ、そういうふうに話していいんだよ」とあいづちを打ってくれたりすることがあって、僕はみなさんに支えられて楽しくしゃべらせてもらったという感じですね。

―2年前に初めて八重山を訪れたそうですけど、八重山の印象はどういうものですか。

宮本
本島の人たちも八重山といえば唄が違う、格段に唄がうまいと言うんです。
とにかく唄が上手い人が多いし、芸術家がいるという印象が僕にはあるんですよ。
友人も「八重山の人は想いが強くて心が熱い」と言ってましたし、僕は穏やかないいいところだと思っています。
沖縄本島とは違う気がするな、もっと人間の密度が濃そうだしね、いい意味で。
人と人がちゃんと語ってるというか、目と目を合わせているっていう感じがするな。
テンポも違うし、きっと幸せ基準も違うんだろうなっていう気がします。

―講演の中で「沖縄にきて常識がくつがえされた」と話していましたが、現在の演出家という仕事で沖縄という存在はどういったものになっていますか。

宮本
沖縄の人と普段いろいろ話すようになって、意見がはっきりしているという気が僕はしている。
よく本土の人が、沖縄の人ってはっきり言わないって言うけれど、それは裏と表がないということだと思う。
演出家の立場として、題材にいきなり沖縄というものが入ってくるわけではないけれど、東京などで仕事に追われていても心のどこかに沖縄という存在があるだけで、とても楽な気分になりますね。

―宮本さんの今後の活動はどうなっていますか。

宮本
今年はアメリカに行ってミュージカルをやることになってます。
ミュージカルの本場ですから、大きなチャレンジになりますが、初めて海外に留学してからどれぐらい、自分の中で成長できているか知るにはとてもいいチャンスです。
それと沖縄を題材にした舞台を「いつやるのか、いつやるのか」とよく聞かれるんですが、スケジュールの都合で今すぐというわけにはいきませんが、必ずやりたいと思っています。
そのときは石垣でも必ずやりたいですね。

―八重山の人にメッセージをお願いします。

宮本
僕はまだ時間をかけて八重山を見ていないので、仕事が落ち着いたらゆっくりと八重山の島々をまわってみたいと思っています。
今までも受け継がれている素晴らしい伝統芸能を、これからも大切にしていってほしいです。
 

宮本亜門(みやもと あもん)プロフィール

1958年1月4日生まれ。東京都出身。出演者、振付師を経てロンドン・ニューヨークに2年間留学。帰国後の1987年、オリジナルミュージカル「アイ・ガット・マーマン」でデビューし好評を博す。翌88年には、同作品で「昭和63年度文化庁芸術祭賞」を受賞。出身は東京・銀座だが休養中に訪れた沖縄のことが好きになり住居を沖縄に移し、沖縄と東京を活動の拠点にするほどの沖縄通でもある。

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