平成22年度とぅばらーまチャンピオン 新本 当昭

―いつ頃から歌を歌っていますか?

新本 当昭(以下、新本)
 中学生の頃から自己流で三線を弾き始め、高校に進学してからとぅばらーまを歌うようになりました。その頃、実家の向かいに住んでいた「野とぅばらーま」の歌い手である石垣信知さんに「三線を習わないか?」と言われていました。信知さんの歌はよく聴いていたのを覚えています。
 高校卒業後、上京した時にももちろん三線を持って行きました。ストレスが溜まったりしたときには、三線を弾き、歌うことで、故郷を思い出し、癒されました。
 28歳の時に帰郷し、比屋根勇さんの東京・大阪公演で比屋根悟くんと一緒に棒術で参加しました。その際に、大濱用能流の工工四を頂いたのがきっかけで、比屋根二郎さんに師事し、八重山古典音楽コンクールに向けて本格的に歌の勉強を始めました。

―とぅばらーま大会出場のきっかけは

新本
 平成9年に八重山古典音楽コンクールの最高賞を受賞し、その頃から、とぅばらーま大会にも挑戦してみようと思うようになりました。
 初めて出場した年は参加賞がミンサー帯だったんです。これは上等だと思い、比屋根悟くんと共に挑戦することにしました。悟くんと二人で、登野城の歌い方である揚とぅばらーまを変えることなく歌い続けようと話しました。彼の存在がなければ続けてこれなかったかもしれないです。
 登野城の揚とぅばらーまにこだわり、知念清吉先生や比屋根弘先生には研究所の壁を越えて指導していただき、これまで何度も挑戦してきました。出場できない年もありましたが、約10回目の出場となった今年、最優秀賞を受賞できました。大濱用能流としてのとぅばらーまチャンピオンは、知念清吉先生以来、私が42年ぶりです。

―今後の目標

新本
 とぅばらーまチャンピオンになったことで、これまで以上に力を入れて、幼い頃から聴きなれている揚とぅばらーまを歌い継いでいこうという思いが強くなりました。大濱用能流としても、チャンピオンとしても、その名に恥じないように更に勉強を積んで、歌っていかなければと思っています。清吉先生はじめ先輩方のような歌が歌えるようになりたいですね。そして今後、後輩たちがとぅばらーま大会に挑戦し、揚とぅばらーまを歌っていけるように頑張っていきたいと思います。

―読者にメッセージを

新本
 とぅばらーまは地域によって歌い方が違い、種類も多いです。地元の人たちにはもっと三線に触れ、歌に興味を持っていただきたいです。そして、とぅばらーまは一つではなく、様々な歌い方があることを知ってほしいです。

新本 当昭新本 当昭(あらもと まさあき)プロフィール

1963年10月7日生まれ。登野城出身。中学生の頃から三線を自己流で始める。28歳の時に東京から帰郷し、大濱用能流保存会師範の比屋根二郎氏に師事。平成9年に八重山古典音楽コンクール最高賞受賞、平成15年には教師免許取得。看護士、臨床工学技士として八重山病院の人工透析室と高気圧治療室に勤務している。

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