やいまーる外電

THE SAKISHIMA meeting 2ndアルバムツアーが上陸!

THE SAKISHIMA meeting tour2017「“THE” BIRAKI」
場所:umeda AKASO(大阪市)
日時:平成29年4月17日
開演:19:30

新良幸人(石垣島)と下地イサム(宮古島)のユニット「SAKIAHIMA meeting」が、3月、約4年ぶりに新しいアルバムを発表した。
ユニット名も頭に「the」がつき、「THE SAKIAHIMA meeting」となった。
ツアータイトルの「“THE”BIRAKI」は、そんな新たな名前でのもっと広い世界への船出の願いが込められているように感じた。
3月下旬に宮古島・石垣島からスタートしたツアーはいよいよ内地に上陸し、ここ大阪が最初の地だった。

降りしきる雨の中、大勢のファンがライブ会場を訪れ、テーブル席や椅子席を埋め尽くした。
大阪でのライブは久しぶりのようで、ファンたちが口々にステージに向けてかけた「おかえりー!」の声に二人は迎えられた。
ドラムとのスリーピースで、次々と新曲の演奏が続く。

ユニット名に「THE」を加えた理由として、「環境保護団体の会議などと間違われないように」と笑いを取りながら説明があったが、それは海外公演を意識したのだろうと思った。
後日調べてみると、「the」は「それしかないもの」につくようだ。
「THE」をつけることで上記のような誤解を得ずに、先島諸島の出身二人による音楽ユニット名として認識されていくのだろう。
考えてみるとビートルズも、英語で書けば「The Beatles」だ。

ライブ会場はワンドリンク前払い制だったので、序盤に「カリーー!」の掛け声で乾杯もあった。
今回のアルバムは、二人が何をしてもいいということで、歌詞には新良幸人の出身地・白保(石垣島)と、下地イサムの出身地・久松(宮古島)を描きまくったのだそうだ。
また、歌詞には神様や「~~世」といった願いの言葉がたくさん出てくる。
八重山、宮古と二人の出身は違えども、暮らしの中の至る所に様々な神様がいる自然信仰の島という共通点が、THE SAKIAHIMA meetingならではの世界観を醸し出していた。
ライブは休憩を挟んで二部構成。
様々なジャンルの曲調が自ら曲作りをする二人によって昇華されて、ジャンルフリーや無国籍といった呼び方さえも超えたような、唯一無二の彼ら独特のライブを堪能した。
アンコールでは、ツアーTシャツに着替えてきた二人。

「SAKISHIMAのテーマ」と、新しいアルバムから「百夜」を歌った。
ライブ中、どの曲も方言で歌うからこそ伝わってくる想いがあったが、筆者には方言がわからない。
最後に歌われた「百夜」も心に響くものがあり、なぜこの曲をツアーの最後に持ってきたのかその想いや歌詞の意味が知りたくて、ライブ終了後にアルバムを購入した。
歌詞カードを開くと最初に、ニューヨークにあるジョン・レノンの記念碑を訪れた二人の足元と「IMAGINE」の文字が、目に飛び込んできた。

「百夜」はアルバムの最後に収録されていた。
歌詞の標準語訳があり、曲に込められた想いがわかった気がした。
今回のアルバムには、島々の至る所におられる様々な神様への願い、平和で実り多き世へと願う歌詞などが多く盛り込まれている。
そのコンセプトと、ライブの最後にこの曲を歌った二人の想いは、ジョンの「IMAGINE」に通じるものもあるのだろうと想像した。

アルバム1曲目の「ザ・サキシマユニゾン」にこんな歌詞がある。
「舟や 初水うきー  風や んきゃーん風  あまた 夢ぬうしー
(舟は 初水を受け  風は 昔からの風  多くの 夢を載せ)」
この歌詞のように、今回の「“THE”開き」から新たな海原へ向かおうとしている二人の今後の活躍を祈りたい。

東京・飛鳥山公園での桜祭りでエイサー演舞披露される!

 4月1日土曜、4月2日日曜の両日、東京都内では著名な桜の名所のひとつである北区飛鳥山公園で、「さくら SA★KASOまつり」(同実行委員会主催)が開催された。

 同イベントは、今年で20回目を迎え、同区民にすっかり定着した。イベントは「琉と華」と題され、初日は「さくらエイサー」として、“沖縄デー”。

石垣島出身のアーティスト・世持桜のライブ、沖縄出身のお笑い芸人・1、2の大心のステージが行われた。

そして、創作エイサー隊 演舞太鼓、美ら星エイサー、エイサーシンカ夏ぬ子、とんとみー、なんくるエイサー、千花夏風、野田エイサー遊び家の関東地区の7チームが参加し、見事なエイサー演舞を披露。最後は観客も入り乱れての大カチャーシーで幕を閉じた。


 また、会場内には42軒の屋台出店があり、同区内の沖縄料理店はサーターアンダギー、オリオンビールなどを販売していた。

 この日は、あいくに小雨混じりのイベント強行となったが、観衆は沖縄文化に触れ、大いに盛り上がっていた。来年は好天に恵まれることを願いたいものだ。

(取材=ミカエル・コバタ)

近畿の各字郷友会合同花見会 2017

日時:2017年4月2日(日)
場所:大阪城公園

ようやく桜が咲き始めた大阪城公園に、今年も近畿地方にある八重山の字会(あざかい)のメンバーが一堂に集い、「合同花見会」が開催された。
今年も多くの郷友が集まり、そこかしこで輪になって持ち寄った弁当などを共に分け合いながら楽しんでいた。
様々な差し入れもあり、司会がそれを紹介するたびに拍手が起こっていた。

(画像:座開き、玉城会長挨拶、余興の様子)

内地の三線教室仲間や踊りの仲間といった方々も参加し、地方を担当したり踊りで日頃の練習の成果を披露する場面もあった。
余興は飛び入りも歓迎で、自薦他薦で歌や踊りが次々と繰り広げられた。

(画像:余興「アンガマ」)

通りすがりの人々も珍しそうに写真や動画を撮影している様子がうかがえた。
中には、踊りの中に飛び入りする外国人もいた。

踊る彼女(左端)を撮影している外国人カップルの男性。 
きっと旅のいい思い出になったことだろう。
さまざまな余興が続くのを見ながら、みなさん本当に芸達者だなと思う。
筆者も歌と踊りと一曲ずつでもいいのでやれるネタがあると、こういう会で楽しいのかもしれないなどと考えた。

宴の締めくくりには、みるく節の前に豊年音頭が演奏され、隣で宴会をしていた若い人たち10名程もその踊りの中に混じって、大いに盛り上がっていた。
踊りの後に声をかけて話を聞くと、ある会社の同僚同士でお花見をしていたとのこと。
郷友会の人たちからは「(飛び入りしてくれて)ありがとう!」という声が、彼らに投げかけられていた。
開かれた、楽しい会である。
会員のみなさんが輪になってみるく節を踊っている時、東南アジア系の若い女性数人が近寄ってきて、動画を撮り始めた。
「いったい何が起こってるの?」と英語で聞かれたので、悪戦苦闘しながら「沖縄の文化で、パーティーの終わりの踊りだ。」とだけどうにか答えたら、とても関心を持ってしばらく見入っていた。
広い大阪城公園の片隅で多くの人たちが八重山の文化に触れる機会ともなったこの日の合同花見会は、晴れやかな余韻を残しながら無事終了した。

共催団体:
近畿八重山郷友会、近畿大浜郷友会、大阪真平郷友会、近畿波照間郷友会、関西宮良郷友会、近畿川平郷友会、近畿八重山白保郷友会、おもと会、関西やいま於茂登会、関西与那国郷友会、関西黒島郷友会、関西やいまー会、関西八重山28年同期会

八重山とわたし(1) 「織の海道(おりのうみみち)」 田中滋さん

縁あって、書籍「織の海道01 八重山・宮古編」の出版元であるNPO法人織の海道実行委員会の、理事長 田中滋さんにお目にかかる機会を得た。
お声がけくださった須田雅子さんは、京都造形芸術大学で昨年度、卒業論文「苧麻をめぐる物語 ―奥会津昭和村と宮古・八重山の暮らしと文化―」をまとめた。
昭和村、八重山の島々、宮古島へと取材・調査を重ねてまとめたその論文は、大学の「同窓会賞」を受賞したそうだ。
お二人とも八重山の染織について調査された方だが、今回は田中さんのお話を中心にうかがった。

(左:須田雅子さん、右:田中滋さん)

「織の海道」シリーズは、八重山諸島や宮古島、沖縄本島エリアをはじめとした様々な地域の染織について、その特徴や技術の発展してきた歴史的背景などを、多くの記録画像とともに構成した書籍だ。
元々海外も含む美術館などに寄贈することを前提に制作され、一般の書店販売ルートには乗っていない。
事務局直販、または、限られた染織関連施設などが商品として取り扱っているという。

シリーズ第一弾として、「八重山・宮古編」が発行されたのは、2002年。
沖縄、とりわけ八重山のことに興味がある筆者は、ずいぶん後にその存在を知り、ネット経由で入手したように記憶する。
お目にかかる前に久しぶりにページをめくってみた。
書籍や写真は、その時々の時代を記録する資料だ。
田中さんは15年前の、須田さんはここ2年間の、八重山の染織について調査し、まとめた。
その時の調査報告だけでなく、調査に関わった人自身が体験した記憶もまた、貴重な保存記録(アーカイブ)だと思う。

(与那国島の機織りの様子 「織の海道01 八重山・宮古編」)

田中さんのお話からも、そんな一部をうかがえた。
産業としての布やデザインの分野に身を置いて様々な仕事をしてきた田中さんは、30代後半に、独自に沖縄・先島諸島の染織について調査を始められた。
1991年、芭蕉布の喜如嘉を訪ねた際に、かつて都内の美大に在籍中、復帰直後の沖縄本島におもむいて芭蕉布を見た時とは、また違った美しさを実感できたそうだ。
「これを東京で紹介できないだろうか?」と思ったが、以前、竹富島の情報を得たので、当初翌日帰るつもりだった予定を延期して竹富島へと向かった。
竹富島では、宿泊した宿の女将さんが織物の組合関係の方だったこともあり、夜、近所のおばぁたちが自ら績んだブー(苧麻)の糸を売りに来たのを目の当たりにした。
その時の出会いやご縁が元で、都内でまず八重山の染織を紹介するイベントを独自に開催することとなったのだそうだ。

(竹富海晒し 「織の海道01 八重山・宮古編」より)

1992年、「竹富町の布と色」展(東京)を開催し、総合プロデュース、テキスタイルデザインを担当。
1998年、南風の里「八重山竹富町の織物」展(東京)にて、総合プロデュース担当。
同年、現在のNPO法人の前身である任意団体「織の海道」実行員会を設立。
先述の展示会はいずれも、竹富町織物協同組合の製品の紹介だったそうだ。
その後、石橋財団からの助成金を受け、あらためて先島諸島の染織や歴史、文化なども含めた調査を行い、その成果としての「織の海道」シリーズの第一弾、「八重山・宮古編」(2002年)の発行に至る。
出版と並行して、2001年には竹富島公民館でシンポジウム「八重山・宮古の織物を中心に」を、2002年に、展示会「与那国・竹富・石垣・宮古島 染織展示」を東京で開催するなど、田中さんは染織を軸として八重山を広く国内外に紹介することに貢献されてきた。

(NPO法人 織の海道実行委員会 パンフレットより)

・・・こんなお話しをうかがうと、ご縁と出会いのタイミングというのは不思議なものだと感じる。
その後、同会はNPO法人となり、「織の海道」シリーズ最新号を2013年に発行。
最新号のカンボジアの染織を紹介する「Vol.5 アジアへ、カンボジア ~クメール染織の美~」で、これまで沖縄・九州の染織を紹介してきた織の海道は国境を越えた。
上記画像、NPO法人 織の海道実行委員会 パンフレットに、田中さんの、八重山の染織との出会いから始まった想いが綴られている。
「小さな島、一人のおばぁの糸をつむぐ手から始まりました。 
その手は美しく文化を紡いでいるように思え 伝え、残したいと思いました。」
田中さんは、その思いを形にし、「織の海道」シリーズを発行しつつ、それに伴うイベントを開いた際や、大学等で染織文化の講師としてなど、現在も折に触れて八重山の染織について紹介し続けているのであった。

*NPO法人 織の海道実行委員会
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