今年は沖縄本土復帰50周年ということで、テレビ番組やイベントなどで沖縄が取り上げられることも多いようだ。
映画では、与那国島を舞台とした作品2本が、全国各地で順次上映されている。
(エリアによっては6月・7月から上映予定)
筆者は2本同時上映している京都の映画館で観てきた。
筆者が映画を通して感じたことも含めて紹介したい。
公式サイト
★ヨナグニ ~旅立ちの島~
消滅危機言語に関心を寄せているイタリア出身の映像作家アヌシュ・ハムゼヒアンと写真家ヴィットーリオ・モルタロッティによる作品。
公式サイトの作品情報によると二人は、
与那国の言葉”どぅなんむぬい(与那国語)”が日本で最も消滅の危機に瀕している言語の一つであることを知る。最初の滞在時に“少数言語の消滅”というワードの裏側には、一つの世界が消失することに二人は気付く。その言葉を話す人が少なくなり、その言葉で表されていたはずの風景、文化、関係性もまた変化せざるをえない局面を迎えていることを最初の滞在時に感じ取った。二人は消失の危機にあるコミュニティの痕跡を3年間にわたり記録していった。
とのこと。
その中でも、特に中学を卒業すると高校進学のために一部は島を離れていく14歳の子どもたちの日常を中心に、島を出たが帰省の際に集まって「いつかは戻りたい」と島を離れたからこそ感じている島の良さを語る20代や、島を出たが戻ってきた人などの、島での日々や思いをまとめた作品だ。
時代とともに変わっていく「言葉」や島の暮らしの中で、変わらない人々の温かさや他者を思う心、人やふるさととのつながりが優しく彼らを包み込む。
今回の二人のイタリア人による作品の日本公開にちなんで、イタリア文化会館のサイトでも本作品の紹介などがなされている。
その中で、「日本やイタリアあるいは世界で危機的な状況にある言語」というタイトルでの与那国島の言葉だけでなく、八重山、宮古の言葉についても触れている文章へのリンクもある。
興味のある方は、下記ページからご覧いただきたい。
「変わりゆくもの」と「変わらないもの」「世代を超えて伝えられて行くもの」がテーマになっている点は、もう一つの映画「ばちらぬん」と共通しているように思えた。
★ばちらぬん
こちらの作品は抽象的な表現もあり、以下には筆者が作品から受け取ったメッセージの個人的解釈を含む。
与那国島の言葉で「忘れない」という意味のこの作品は、与那国島出身で島を出て京都の芸術系大学で映画や演技について学んできた東盛あいかさんの卒業制作だ。
自身が監督・脚本・撮影・編集を行い、また自らが主人公である島の女子学生を演じている。
【画像提供:東盛あいか様】
本作は一風変わった映画構造であり、一般的なストーリー性は無いがドキュメンタリーとフィクションが溶け合うように存在している。
ドキュメンタリーでは与那国島の人々の営みをうつし、フィクションパートではもう一つの世界線に存在する4人の登場人物がそれぞれ「島の何かを象徴する人間の姿をした『何か』」となり、非日常かパラレルワールドのような幻想的な世界で、主人公も交えた彼ら同士が様々な場所で出会っては何かを伝えたり受け継いだりしていく。
4人の若者が表現しているものは、筆者には例えば島のにおい、植物や農作物、音、水や伝統文化のように感じられた。
【画像提供:東盛あいか様】
一方ドキュメンタリー・パートには、島の祭り、伝統芸能や、東盛さん自身のおじいさんについて語る島のおばぁの話を聴きながら演者でなく「自分自身」として反応しているように見える東盛さんの姿。
現役で活躍されている唄者や染色作家さんといった島の伝統工芸を今に引き継いでいる人たちの姿も映し出される。
それらは与那国島で生まれ育った東盛さんが見聞きし肌に触れてきた、島の様々な「大切なもの」なのだろう。
【画像提供:東盛あいか様】
ドキュメンタリーとフィクションの二つの世界を、制服を着た主人公が行き来する。
彼女が、島のイメージや島に層をなして積み重なってきたものの世界と日常、過去と現在を繋ぐという象徴的な役割を担っている。
それら二つの世界に対して、というか、それらが交差し融合してもいる全てに対して主人公(=東盛さん自身)が「ばちらぬん(忘れない)」と力強く口にするラストシーンが、この映画が伝えたいメッセージを集約しているように思えた。
「ばちらぬん」上映後には、東盛さんが「ヨナグニ ~旅立ちの島~」を撮影した二人との、与那国島をめぐるオンライン対談の短編映像も特別上映される。
これを見て両者の話を聴くことで、二つの作品への理解がより深まった。
【画像提供:東盛あいか様】
「ばちらぬん」終了後部屋の外に出たら、なんと東盛さんの姿が!
映画を見た直後はまだ感想をうまく言葉にできず簡単に短くしか表現できなかった。
が、筆者も八重山を旅するごとに、「今、この祭りを、このおじぃおばぁの話を、言葉を、この暮らしの知恵や手仕事の物たちを記録しておかないと失われてしまうものもある!」と強く感じている。
東盛さんが彼女なりのやり方でそれらを形にして残そうとした作品であることは、非常によく理解できた。
実は何の予備知識もなく見た二つの作品だった。
それらについて、帰宅してからリーフレットを読み、公式サイトをじっくり見て、作品を思い出しながら自分が作品から受け取ったことについて言語化できるまで熟すのを待っていたら3日を要した。
逆を言えばこれらの作品は、国を問わず起こっている「変化」の中の「伝統」についての本質に近いようなことを、言葉(聴覚)や映像(視覚)を通してだけでなく、もっと別のチャネルをも通じて見る者の心に直接語り掛けるような作品であったように思った。
大げさな言い方になるかもしれないが、人類共通のテーマ・課題ともいえるのではなかろうか。
そんな風にも感じた作品たちだった。
あまくまたーかー