やいまーる外電

写真展「よみがえる沖縄1935」(立命館大学国際平和ミュージアム)

  立命館大学 国際平和ミュージアム2019年度春季特別展
  「よみがえる沖縄1935」
    
  日時:2019年4月13日(土)~6月29日(土)
  開館時間:9:30~16:30(入館は16時まで)
  会場:立命館大学国際平和ミュージアム1階 中野記念ホール(京都府京都市)
  主催:立命館大学国際平和ミュージアム、朝日新聞社、沖縄タイムス社

 (本展の詳細や休館日について)
 
 

2年ほど前であっただろうか。
ニュース記事で、「戦前の沖縄の風景などを撮影した写真が大量に発見された」と知った。
その当時から、朝日新聞社と沖縄タイムス社の共同企画で生まれたサイトでそれらの写真を見ることができていたり、那覇市内などで写真展が開催されたりしており、旅の予定と会期が重なるのであれば大きな写真で見てみたいと思った記憶がある。
 
 (朝日新聞社・沖縄タイムス社の特設サイト、「沖縄1935 写真でよみがえる戦前」
(2017年、沖縄県内で実施された写真展のニュース記事
  ・那覇・タイムスギャラリーにて
  ・沖縄市立図書館にて
 
 
現在その写真の一部が、京都の立命館大学国際平和ミュージアムにて展示されている。
本展は、2017年に日本新聞博物館で開催された「企画展 よみがえる沖縄1935」の関西巡回であり、加えて立命館大学国際平和ミュージアム等所蔵の沖縄関連資料の展示もなされている。
 
写真に関しては、残念ながら八重山の物はなく、糸満、古謝、久高島、那覇、その他各地といった展示構成である。
しかし発見当時のネガの汚れや傷みを修復した約80年前の画像は、沖縄戦以前の本島の人々の暮らしを知る事のできるとても貴重な資料であり、一見の価値がある。
中にはAIを活用してカラー化を試みた写真もいくつかあり、風景や人々がよりいきいきと見えた。
 
那覇の市場では、ほとんどの人は着物で、士族の女性はジーファー(かんざし)を挿した髪型をしていたり、老婆の手にはハジチが見て取れる。
 
道行く人や畑仕事の人たちが裸足である写真もあり、足裏の皮膚の強さはどんな感じだったのだろうと想像した。
 
女性はまた、頭の上に大きな荷物をバランスよく乗せて両手を自由に使えるようにしている習慣がまだあった時代で、魚売りの女性は、魚の入った籠と頭の間にまな板を挟んで魚の汁が直接頭にかからないようにしている様子など、当時の生活の知恵を垣間見ることもできた。


 
本展では、朝日新聞社の写真に加え、立命館大学が所蔵している八重山に関する資料がいくつか展示されていた。
こちらもまた貴重な資料であった。
 

【「西表他の区の労働地獄と日本労働者階級の使命」 (国際平和ミュージアム所蔵)】

知念村出身で城崎勝馬という人が、西表の炭鉱ついて1936年~41年に記したものである。
手書きでびっしりと書かれた文章など、いくつかの資料がガラスケースの中に読めるような形で展示されており、「毎日12-15、6時間、または一昼夜ぶっ通しの人間業とは思えない労働」と言ったような表現に、炭鉱での労働の過酷さをうかがい知ることができた。
 
 
同大学資料センター所蔵の立命館大学探検部の資料も、「戦後の大学生の見た沖縄」という趣旨で展示されていた。
こちらは閉じたまま触れられない形での展示であったので、表紙と解説しか見ることができなかったが、そのような資料の存在を知る事ができたのは収穫であった。
 

【「沖縄西表島踏査計画書」 1969年8月1日~24日】

昭和の時代のいわゆる「青写真」という紫色の濃淡でアウトプットされる複写機による冊子だ。
解説の札に、中の文章の一部が紹介されていた。
「なぜわれわれ三人はこの島に行こうとするのか・・・さまざまな夢想、好奇心、探求心を募らせるのに十分なフィールドなのである(「行く前に考えた事」より)」
沖縄返還前の時期であり、渡航にはパスポートも必要だった時代の若者たちの熱い思いの片鱗に触れることができた。
 

【波照間島 1970夏 沖縄八重山郡】

このような資料も展示されていた。
当時の波照間島は「探検部」のフィールドの対象であったことがうかがい知れた。
2冊とも、古本など流通していないかどうか調べてみたが、情報は得られなかった。
調べている途中で、「竹富町史だより 第37号 2016年3月31日」には、当時は竹富町史編集事業の「島々編」シリーズの「波照間島」を編集中とのことで、膨大な量の波照間島に関する資料一覧が紹介されていることがわかった。
その中に本資料も掲載されていた。
 
 

このミュージアムにはそれ以外に、常設展のコーナーがある。
地下1階の戦争についての歴史を学ぶ部屋にも、沖縄戦に関する情報コーナーがあった。
印象的だったのは、どこの島かは失念したが、御嶽に鳥居がある写真だ。
明治政府による国家神道政策によって建てられたのだと、恥ずかしながら今頃知った。
八重山の島々を訪れると、御嶽に鳥居がある島とない島があることが、以前から不思議に思っていた。
国家神道政策が及ばなかった島があるのだろうと理解した。
 
会期はあと1ヶ月ほどあり、その間に慰霊の日がある。 
1935年当時の風景は、その10年後には跡形もなくなってしまうほど破壊された。
そのような事実があったのだということを、この時期だからこそより強くあらためて突きつけられた機会でもあった。

【関連情報】

写真集が発売されているので、興味がある方はご参考に。
「写真集 沖縄1935」 週刊朝日編集部〈編〉

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