八重山とわたし(1) 「織の海道(おりのうみみち)」 田中滋さん

縁あって、書籍「織の海道01 八重山・宮古編」の出版元であるNPO法人織の海道実行委員会の、理事長 田中滋さんにお目にかかる機会を得た。
お声がけくださった須田雅子さんは、京都造形芸術大学で昨年度、卒業論文「苧麻をめぐる物語 ―奥会津昭和村と宮古・八重山の暮らしと文化―」をまとめた。
昭和村、八重山の島々、宮古島へと取材・調査を重ねてまとめたその論文は、大学の「同窓会賞」を受賞したそうだ。
お二人とも八重山の染織について調査された方だが、今回は田中さんのお話を中心にうかがった。

(左:須田雅子さん、右:田中滋さん)

「織の海道」シリーズは、八重山諸島や宮古島、沖縄本島エリアをはじめとした様々な地域の染織について、その特徴や技術の発展してきた歴史的背景などを、多くの記録画像とともに構成した書籍だ。
元々海外も含む美術館などに寄贈することを前提に制作され、一般の書店販売ルートには乗っていない。
事務局直販、または、限られた染織関連施設などが商品として取り扱っているという。

シリーズ第一弾として、「八重山・宮古編」が発行されたのは、2002年。
沖縄、とりわけ八重山のことに興味がある筆者は、ずいぶん後にその存在を知り、ネット経由で入手したように記憶する。
お目にかかる前に久しぶりにページをめくってみた。
書籍や写真は、その時々の時代を記録する資料だ。
田中さんは15年前の、須田さんはここ2年間の、八重山の染織について調査し、まとめた。
その時の調査報告だけでなく、調査に関わった人自身が体験した記憶もまた、貴重な保存記録(アーカイブ)だと思う。

(与那国島の機織りの様子 「織の海道01 八重山・宮古編」)

田中さんのお話からも、そんな一部をうかがえた。
産業としての布やデザインの分野に身を置いて様々な仕事をしてきた田中さんは、30代後半に、独自に沖縄・先島諸島の染織について調査を始められた。
1991年、芭蕉布の喜如嘉を訪ねた際に、かつて都内の美大に在籍中、復帰直後の沖縄本島におもむいて芭蕉布を見た時とは、また違った美しさを実感できたそうだ。
「これを東京で紹介できないだろうか?」と思ったが、以前、竹富島の情報を得たので、当初翌日帰るつもりだった予定を延期して竹富島へと向かった。
竹富島では、宿泊した宿の女将さんが織物の組合関係の方だったこともあり、夜、近所のおばぁたちが自ら績んだブー(苧麻)の糸を売りに来たのを目の当たりにした。
その時の出会いやご縁が元で、都内でまず八重山の染織を紹介するイベントを独自に開催することとなったのだそうだ。

(竹富海晒し 「織の海道01 八重山・宮古編」より)

1992年、「竹富町の布と色」展(東京)を開催し、総合プロデュース、テキスタイルデザインを担当。
1998年、南風の里「八重山竹富町の織物」展(東京)にて、総合プロデュース担当。
同年、現在のNPO法人の前身である任意団体「織の海道」実行員会を設立。
先述の展示会はいずれも、竹富町織物協同組合の製品の紹介だったそうだ。
その後、石橋財団からの助成金を受け、あらためて先島諸島の染織や歴史、文化なども含めた調査を行い、その成果としての「織の海道」シリーズの第一弾、「八重山・宮古編」(2002年)の発行に至る。
出版と並行して、2001年には竹富島公民館でシンポジウム「八重山・宮古の織物を中心に」を、2002年に、展示会「与那国・竹富・石垣・宮古島 染織展示」を東京で開催するなど、田中さんは染織を軸として八重山を広く国内外に紹介することに貢献されてきた。

(NPO法人 織の海道実行委員会 パンフレットより)

・・・こんなお話しをうかがうと、ご縁と出会いのタイミングというのは不思議なものだと感じる。
その後、同会はNPO法人となり、「織の海道」シリーズ最新号を2013年に発行。
最新号のカンボジアの染織を紹介する「Vol.5 アジアへ、カンボジア ~クメール染織の美~」で、これまで沖縄・九州の染織を紹介してきた織の海道は国境を越えた。
上記画像、NPO法人 織の海道実行委員会 パンフレットに、田中さんの、八重山の染織との出会いから始まった想いが綴られている。
「小さな島、一人のおばぁの糸をつむぐ手から始まりました。 
その手は美しく文化を紡いでいるように思え 伝え、残したいと思いました。」
田中さんは、その思いを形にし、「織の海道」シリーズを発行しつつ、それに伴うイベントを開いた際や、大学等で染織文化の講師としてなど、現在も折に触れて八重山の染織について紹介し続けているのであった。

*NPO法人 織の海道実行委員会
facebook  https://ja-jp.facebook.com/orinoumimichi/

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