映画「岡本太郎の沖縄(完全版)」が上映中


 
「本職? 人間だ。」
これは芸術家・岡本太郎のセリフだ。
その生きざまからは、むき出しの自分で外界や対象と対峙し、昇華・表現していくというすさまじさを感じる。
彼は若かりし頃の10年ほどをフランスで過ごし、その時哲学や民俗学も学んだ。
「生き方」や「人間」への関心はその頃から強かったのかもしれない。
その後岡本太郎は「日本人とは何か?」「自分とは何か?」の答えを探すべく、日本各地を旅するようになる。
その旅の最後に行きついたのが、1959年の沖縄の旅。太郎、48歳のことだった。
沖縄本島各地や八重山諸島をめぐり、12年に一度の神事「イザイホー」で知られる久高島にも立ち寄った。
1966年には、「イザイホー」の取材をメインとして、再び沖縄を訪れている。
 

 
映画「岡本太郎の沖縄(完全版)」は、太郎が沖縄への旅で撮った久高島の神女「久高ノロ」の写真に魅入られた葛山喜久監督による作品だ。
 
数年前に上映された際に見に行った時には「完全版」という言葉はタイトルに入っていなかった。
岡本太郎が訪れた場所をめぐり、「当時と変わったもの、変わらないもの」を取材。撮影し、太郎の写真や映像と照らし合わせながら、彼の旅を追体験するという構成だった。
「『完全版』は何が違うのだろう?」という好奇心と、「きっとまた岡本太郎が撮影した八重山の写真や監督らが撮影した現在の様子も含まれているだろう」という思いで、上映中の映画館・第七藝術劇場(大阪市)へと向かった。
 
【参考】初版を見た際の記事
 


 

 
(葛山喜久監督 / 画像提供:第七藝術劇場様)
 
八重山関係は、竹富島のシーンには新しく取材されたと思われるフィルムが追加されていた。
竹富島の毎朝白砂を箒で掃き清める高齢者へのインタビューだ。
「代々こうしてきた」と誇らしく語る笑顔が印象的だった。
監督が作品に込めたいくつかのテーマの中の「変わらないもの」の象徴の一つと受け止めた。

かたや、石垣島に関してはごっそり抜けていた。
白保出身の唄者・大島保克さんが旧濃連市場で民謡を歌うシーンは、尺が短くなったものの残っていた。
 

 
(画像提供:第七藝術劇場様)
 
筆者が鑑賞しに行った日は、終演後に葛山監督の舞台挨拶があり、その後も少しお話をうかがう機会を得た。
監督によると、この「完全版」は前回よりさらに「岡本太郎の視点」に焦点を当てた、とのこと。
前回から取材を重ねながら、更に数年かけて再構成・再編集した際に、泣く泣く削らざるを得ない場面も出てきてしまったのだそうだ。

それを聞いて、今回の作品は、太郎が特に心惹かれ感動した「イザイホー」を「変わってしまった沖縄」の代表例として主軸に置き、監督が太郎の旅の追体験の取材の中で感動した「太郎が旅した当時と変わらない芭蕉布の仕事にいそしむ平良敏子さん(人間国宝、101歳)」を「変わっていない沖縄」の例とし、この2つに厚みを持たせたように思った。
パンフレットの表裏の表紙は、太郎が撮影した当時の平良敏子さんと、監督たちが撮影した最近の敏子さんが対になっているのも象徴的だ。
 

 
それと同時に、久高ノロの子孫に今も「語り継がれること」や「思い出」があり、平良敏子さんには年輪を重ねるという「変化」もあると感じた。
筆者が思うに、この映画は、「変わってしまったもの、変わりつつあるもの」と「変わらないもの」を二分して対立させたいわけではないのだろう。
 
変わっていくものもあれば、変わらないもの(あるいは、継承されるもの、残る部分)もある時の流れの中で、「自分はどう生きるか?」をふりかえるきっかけを与えてくれているのだと思う。
 
それが、岡本太郎の「自分とは何か?」という問いにつながっていくのだろう。
そんな思いを抱きながら、会場を後にした。
 
【今後の上映予定】詳しくは公式ホームページへ
 

●第七藝術劇場
2022年9月9日(金)まで
 
●神戸元町映画館
2022年9月9日(金)まで
 
●桜坂劇場
2022年10月15日(土)~
 
●東京都写真美術館
2022年10月25日(火)~
 
●渋谷ユーロスペース
2022年11月上映予定~
 


 
あまくまたーかー

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