観光スポットではなく、生活に溶け込んだ
おもしろい風景やミステリアスな場所ってありますよね。
普段は見過ごしていたけど、
言われてみれば気になっていたお店とか。建物とか。
今回は、少し不思議な“ひんぷん通り”を紹介したいと思います。
(“ひんぷん通り”は僕が勝手につけた名称です)
ひんぷんとは?
いきなり、ひんぷんひんぷん言われてもちんぷんかんぷんな方に少し説明。
ひんぷんとは、沖縄の民家にある門と母屋の間に設けられる壁のこと。
中国語の屏風(ピンプン)に由来するといわれている。
役割としては、目隠しや魔よけ、台風の風避けなど様々。
石垣島では「マイグスク」ともいう。
昔、子どもが生まれたら“ひんぷん”の周りをみんなで歩きながら歌い祝ったりと、ひんぷんにまつわる行事もあったそう。
ひんぷん通り?
その“ひんぷん”が、不思議と多く残る場所がありました。
場所は、石垣市新川にあります。
かんな歯科の向かいにある、樹木が目印。
脇道をはいっていきます。
そのまま石垣中学校向けへと進むと、左手にひんぷんが現れはじめます。
いくつもの、ひんぷんのある民家が並んでいます。
(撮影許可をもらえた家のみ掲載。)
国の有形文化財も
この“ひんぷん通り”にある「入嵩西家住宅」は、国の有形文化財。
大正6年頃に建てられたそう。
主家をはじめ、マイグスク(ひんぷん)、(家を取り囲む)石垣、井戸の4件が登録されています。
話をきいてみると、ここは農民が住んでいた地域だそう。
「主家の隣(西側)には、離れの台所があり(方言でトーラという)、豚小屋、馬小屋もあった。昔はどこもそうだったよ。
家畜も人も1つの土地で生活してたさ。」とのこと。
その名残はいまもあり、
この通りの民家には西側には大きなスペースがありました。
「マイグスク(ひんぷん)も、もっといっぱいあったよ。ただ、時代とともに必要なくなってきた。
コンクリート住宅になり、(家を取り囲む)石垣もマイグスク(ひんぷん)も減っていったね。」
と話してくれました。
一番気になっていた、
「なぜ、この通りだけ多く“ひんぷん”が残っているのか?」という疑問は、
他の家の方にも尋ねてみたが、明確な答えはみつかりませんでした。
御嶽も多い土地柄なので、
そういった文化が残る地域性なのかもしれません。
ちなみに、
グーグルマップのストリートビューでもみることできるよ。
石垣中学校から出発すると、こんな感じ↓(真っ直ぐ進んでね)