やいまーる外電

代々木公園に熱い沖縄の風が吹いた! 「OKINAWAまつり」が熱狂の渦で幕

 今年で第6回となった「OKINAWAまつり」(同実行委員会主催)が5月20日、21日の両日、東京・原宿の代々木公園で開催された。
 飲食ブースでは、オリオンビール、沖縄そば、タコライス、泡盛など、多くの出店があり、来場者は沖縄フードや酒に舌鼓を打っていた。

 同イベントのメーンイベントはなんといっても、「STREET MUSIC FEST.」と銘打たれた野外ライブ、今年は沖縄音楽界の“大御所”よなは徹を始め、THE SAKISHIMA meeting、きいやま商店、宜保和也といった石垣島に縁のあるアーティストも出演。初日のトリには、「島唄」でおなじみのTHE BOOMの元ボーカル・宮沢和史が登場し、観衆を熱狂の渦に巻き込んだ。

 イベントが開催された両日は、まだ5月だというのに、この時期の東京では異例の30℃超えで、まさに沖縄の熱い風が運ばれてきたようだった。
 回を重ねるごとに、年々来場者が増えている同イベント。来年はさらにパワーアップすることは間違いなさそうだ。
(取材・文=ミカエル・コバタ)

沖縄フェスタイン京都2017

日時:2017年5月21日(日) 10時~16時
場所:檀王法林寺(京都市)

京阪電車と京都市営地下鉄の駅が交わる三条大橋の北東に、檀王法林寺というお寺がある。
浄土宗の袋中上人という人が創建した寺院の一つで、創建以前に袋中上人が1600年の始め頃、仏法を求めて明に渡ろうとして琉球に数年滞在していたことから、琉球とご縁のある歴史を持っている。

「だんのうさん」と親しまれるこのお寺で開催されてきた「沖縄フェスタイン京都」は、今年で10回目だそうだ。

この日は全国的に高温を記録した日で、京都市内では32度越えを記録した。
境内には、多くの沖縄物産の露店があり、オリオンビールや沖縄そばなどを買い求める人たちの列があった。
せっかくなので、筆者もナーベラと海ぶどうを購入。

観光中と思われる外国人の姿もちらほらと見られた。
泡盛も各種並んでいる。

本堂入口の廊下を舞台にして、朝から夕方まで琉球舞踊や沖縄民謡、エイサーなど20近い演目が繰り広げられた。
プログラム
じりじりと照り付ける日差しの下で舞踊を見ていると、京都ではなくまるで沖縄のどこかにいるような錯覚に陥った。

石垣島出身でこのお寺で三線教室をしている迎里徹さんとその生徒による、「迎里徹とゆかいな仲間たち」も登場。

午後にはサプライズゲストとして、ミヤギマモルがステージに立った。
演目も終わりの方になってくるとエイサーで盛り上がり、さらに六調、カチャーシーと続く中、ステージと客席の間にあった空間は踊りに出て来た多くの観客で埋まった。
最後は、演者も観客も一つになって、「アリ乾杯!」で締めくくられた。

事務局によると、今年は例年より午前中からの人出が多く、京都沖縄県人会によるフーチャンプルや、ビールなどの「沖縄食堂」ブースは、14時ごろにすでにほぼ完売となってしまったほどの盛況ぶりだったそうだ。
概算ではあるが、3000人近くの来場があったのではなかろうか、とのこと。
スタートした頃はもっと小規模だったようだが、年々参加者が増えてきているようだ。
会場内で知り合いを見つけ、この場での再会を楽しんだり挨拶をかわしたりしているような人々の姿も見られた。
京都で沖縄を感じられるイベントの一つとして、今後も続くことを期待したい。

GWの川崎の街が熱く燃えた! 「第14回はいさいFESTA」は今年も大盛況

今年で第14回目となり、すっかりゴールデンウイークの恒例行事として定着した「はいさいFESTA2016」(主催=チネチッタ通り商店街振興組合/ラ・チッタデッラ)が、5月3日~7日の5日間、神奈川・川崎駅東口のチネチッタ通りで開催された。

関東では最大級の沖縄フェスティバルとなった同イベントには、今年も連日、数多くの沖縄を愛する人々、沖縄出身者が来場した。
同イベントは、「ラ・チッタデッラ風 大沖縄文化祭」とのサブタイトルがうたわれ、沖縄の音楽、映像、食、酒、伝統芸能が凝縮されている。今年も例年通り、沖縄料理屋台&物産展の出店の他、沖縄系アーティストによるフリーライブ、エイサー演舞、映画祭、ワークショップ(三線教室、シーサー色塗り教室など)、音楽祭などが催された。

フリーライブには、やなわらばー・石垣優、カワミツサヤカ、世持桜、ストライクカンパニー、ヘンザンタカヒロら多くの石垣島出身のアーティストも出演。


エイサー演舞では、昨年、初の試みで好評だった舞弦鼓と和光青年会による「オーラセー」と呼ばれる喧嘩エイサーが、今年も6日に実現。圧倒的なド迫力の演舞が繰り広げられ、沿道の観衆を大熱狂させた。

演舞の後は、観衆も入り乱れてのお決まりのカチャーシーで、締めくくられた。

また、最終日の7日にクラブチッタで開催された音楽祭、後夜祭には、石垣優、きいやま商店、上間綾乃らに加え、お笑いコンビのガレッジセール、スリムクラブクラブも出演し、大いに盛り上がった。
5日間、川崎の街が熱く燃えた同イベントは、大盛況で幕を閉じた。来年は区切りの15回目となる。従来の年以上に、豪華なイベントになることを期待したいものだ。
(ミカエル・コバタ)

THE SAKISHIMA meeting 2ndアルバムツアーが上陸!

THE SAKISHIMA meeting tour2017「“THE” BIRAKI」
場所:umeda AKASO(大阪市)
日時:平成29年4月17日
開演:19:30

新良幸人(石垣島)と下地イサム(宮古島)のユニット「SAKIAHIMA meeting」が、3月、約4年ぶりに新しいアルバムを発表した。
ユニット名も頭に「the」がつき、「THE SAKIAHIMA meeting」となった。
ツアータイトルの「“THE”BIRAKI」は、そんな新たな名前でのもっと広い世界への船出の願いが込められているように感じた。
3月下旬に宮古島・石垣島からスタートしたツアーはいよいよ内地に上陸し、ここ大阪が最初の地だった。

降りしきる雨の中、大勢のファンがライブ会場を訪れ、テーブル席や椅子席を埋め尽くした。
大阪でのライブは久しぶりのようで、ファンたちが口々にステージに向けてかけた「おかえりー!」の声に二人は迎えられた。
ドラムとのスリーピースで、次々と新曲の演奏が続く。

ユニット名に「THE」を加えた理由として、「環境保護団体の会議などと間違われないように」と笑いを取りながら説明があったが、それは海外公演を意識したのだろうと思った。
後日調べてみると、「the」は「それしかないもの」につくようだ。
「THE」をつけることで上記のような誤解を得ずに、先島諸島の出身二人による音楽ユニット名として認識されていくのだろう。
考えてみるとビートルズも、英語で書けば「The Beatles」だ。

ライブ会場はワンドリンク前払い制だったので、序盤に「カリーー!」の掛け声で乾杯もあった。
今回のアルバムは、二人が何をしてもいいということで、歌詞には新良幸人の出身地・白保(石垣島)と、下地イサムの出身地・久松(宮古島)を描きまくったのだそうだ。
また、歌詞には神様や「~~世」といった願いの言葉がたくさん出てくる。
八重山、宮古と二人の出身は違えども、暮らしの中の至る所に様々な神様がいる自然信仰の島という共通点が、THE SAKIAHIMA meetingならではの世界観を醸し出していた。
ライブは休憩を挟んで二部構成。
様々なジャンルの曲調が自ら曲作りをする二人によって昇華されて、ジャンルフリーや無国籍といった呼び方さえも超えたような、唯一無二の彼ら独特のライブを堪能した。
アンコールでは、ツアーTシャツに着替えてきた二人。

「SAKISHIMAのテーマ」と、新しいアルバムから「百夜」を歌った。
ライブ中、どの曲も方言で歌うからこそ伝わってくる想いがあったが、筆者には方言がわからない。
最後に歌われた「百夜」も心に響くものがあり、なぜこの曲をツアーの最後に持ってきたのかその想いや歌詞の意味が知りたくて、ライブ終了後にアルバムを購入した。
歌詞カードを開くと最初に、ニューヨークにあるジョン・レノンの記念碑を訪れた二人の足元と「IMAGINE」の文字が、目に飛び込んできた。

「百夜」はアルバムの最後に収録されていた。
歌詞の標準語訳があり、曲に込められた想いがわかった気がした。
今回のアルバムには、島々の至る所におられる様々な神様への願い、平和で実り多き世へと願う歌詞などが多く盛り込まれている。
そのコンセプトと、ライブの最後にこの曲を歌った二人の想いは、ジョンの「IMAGINE」に通じるものもあるのだろうと想像した。

アルバム1曲目の「ザ・サキシマユニゾン」にこんな歌詞がある。
「舟や 初水うきー  風や んきゃーん風  あまた 夢ぬうしー
(舟は 初水を受け  風は 昔からの風  多くの 夢を載せ)」
この歌詞のように、今回の「“THE”開き」から新たな海原へ向かおうとしている二人の今後の活躍を祈りたい。

東京・飛鳥山公園での桜祭りでエイサー演舞披露される!

 4月1日土曜、4月2日日曜の両日、東京都内では著名な桜の名所のひとつである北区飛鳥山公園で、「さくら SA★KASOまつり」(同実行委員会主催)が開催された。

 同イベントは、今年で20回目を迎え、同区民にすっかり定着した。イベントは「琉と華」と題され、初日は「さくらエイサー」として、“沖縄デー”。

石垣島出身のアーティスト・世持桜のライブ、沖縄出身のお笑い芸人・1、2の大心のステージが行われた。

そして、創作エイサー隊 演舞太鼓、美ら星エイサー、エイサーシンカ夏ぬ子、とんとみー、なんくるエイサー、千花夏風、野田エイサー遊び家の関東地区の7チームが参加し、見事なエイサー演舞を披露。最後は観客も入り乱れての大カチャーシーで幕を閉じた。


 また、会場内には42軒の屋台出店があり、同区内の沖縄料理店はサーターアンダギー、オリオンビールなどを販売していた。

 この日は、あいくに小雨混じりのイベント強行となったが、観衆は沖縄文化に触れ、大いに盛り上がっていた。来年は好天に恵まれることを願いたいものだ。

(取材=ミカエル・コバタ)

近畿の各字郷友会合同花見会 2017

日時:2017年4月2日(日)
場所:大阪城公園

ようやく桜が咲き始めた大阪城公園に、今年も近畿地方にある八重山の字会(あざかい)のメンバーが一堂に集い、「合同花見会」が開催された。
今年も多くの郷友が集まり、そこかしこで輪になって持ち寄った弁当などを共に分け合いながら楽しんでいた。
様々な差し入れもあり、司会がそれを紹介するたびに拍手が起こっていた。

(画像:座開き、玉城会長挨拶、余興の様子)

内地の三線教室仲間や踊りの仲間といった方々も参加し、地方を担当したり踊りで日頃の練習の成果を披露する場面もあった。
余興は飛び入りも歓迎で、自薦他薦で歌や踊りが次々と繰り広げられた。

(画像:余興「アンガマ」)

通りすがりの人々も珍しそうに写真や動画を撮影している様子がうかがえた。
中には、踊りの中に飛び入りする外国人もいた。

踊る彼女(左端)を撮影している外国人カップルの男性。 
きっと旅のいい思い出になったことだろう。
さまざまな余興が続くのを見ながら、みなさん本当に芸達者だなと思う。
筆者も歌と踊りと一曲ずつでもいいのでやれるネタがあると、こういう会で楽しいのかもしれないなどと考えた。

宴の締めくくりには、みるく節の前に豊年音頭が演奏され、隣で宴会をしていた若い人たち10名程もその踊りの中に混じって、大いに盛り上がっていた。
踊りの後に声をかけて話を聞くと、ある会社の同僚同士でお花見をしていたとのこと。
郷友会の人たちからは「(飛び入りしてくれて)ありがとう!」という声が、彼らに投げかけられていた。
開かれた、楽しい会である。
会員のみなさんが輪になってみるく節を踊っている時、東南アジア系の若い女性数人が近寄ってきて、動画を撮り始めた。
「いったい何が起こってるの?」と英語で聞かれたので、悪戦苦闘しながら「沖縄の文化で、パーティーの終わりの踊りだ。」とだけどうにか答えたら、とても関心を持ってしばらく見入っていた。
広い大阪城公園の片隅で多くの人たちが八重山の文化に触れる機会ともなったこの日の合同花見会は、晴れやかな余韻を残しながら無事終了した。

共催団体:
近畿八重山郷友会、近畿大浜郷友会、大阪真平郷友会、近畿波照間郷友会、関西宮良郷友会、近畿川平郷友会、近畿八重山白保郷友会、おもと会、関西やいま於茂登会、関西与那国郷友会、関西黒島郷友会、関西やいまー会、関西八重山28年同期会

八重山とわたし(1) 「織の海道(おりのうみみち)」 田中滋さん

縁あって、書籍「織の海道01 八重山・宮古編」の出版元であるNPO法人織の海道実行委員会の、理事長 田中滋さんにお目にかかる機会を得た。
お声がけくださった須田雅子さんは、京都造形芸術大学で昨年度、卒業論文「苧麻をめぐる物語 ―奥会津昭和村と宮古・八重山の暮らしと文化―」をまとめた。
昭和村、八重山の島々、宮古島へと取材・調査を重ねてまとめたその論文は、大学の「同窓会賞」を受賞したそうだ。
お二人とも八重山の染織について調査された方だが、今回は田中さんのお話を中心にうかがった。

(左:須田雅子さん、右:田中滋さん)

「織の海道」シリーズは、八重山諸島や宮古島、沖縄本島エリアをはじめとした様々な地域の染織について、その特徴や技術の発展してきた歴史的背景などを、多くの記録画像とともに構成した書籍だ。
元々海外も含む美術館などに寄贈することを前提に制作され、一般の書店販売ルートには乗っていない。
事務局直販、または、限られた染織関連施設などが商品として取り扱っているという。

シリーズ第一弾として、「八重山・宮古編」が発行されたのは、2002年。
沖縄、とりわけ八重山のことに興味がある筆者は、ずいぶん後にその存在を知り、ネット経由で入手したように記憶する。
お目にかかる前に久しぶりにページをめくってみた。
書籍や写真は、その時々の時代を記録する資料だ。
田中さんは15年前の、須田さんはここ2年間の、八重山の染織について調査し、まとめた。
その時の調査報告だけでなく、調査に関わった人自身が体験した記憶もまた、貴重な保存記録(アーカイブ)だと思う。

(与那国島の機織りの様子 「織の海道01 八重山・宮古編」)

田中さんのお話からも、そんな一部をうかがえた。
産業としての布やデザインの分野に身を置いて様々な仕事をしてきた田中さんは、30代後半に、独自に沖縄・先島諸島の染織について調査を始められた。
1991年、芭蕉布の喜如嘉を訪ねた際に、かつて都内の美大に在籍中、復帰直後の沖縄本島におもむいて芭蕉布を見た時とは、また違った美しさを実感できたそうだ。
「これを東京で紹介できないだろうか?」と思ったが、以前、竹富島の情報を得たので、当初翌日帰るつもりだった予定を延期して竹富島へと向かった。
竹富島では、宿泊した宿の女将さんが織物の組合関係の方だったこともあり、夜、近所のおばぁたちが自ら績んだブー(苧麻)の糸を売りに来たのを目の当たりにした。
その時の出会いやご縁が元で、都内でまず八重山の染織を紹介するイベントを独自に開催することとなったのだそうだ。

(竹富海晒し 「織の海道01 八重山・宮古編」より)

1992年、「竹富町の布と色」展(東京)を開催し、総合プロデュース、テキスタイルデザインを担当。
1998年、南風の里「八重山竹富町の織物」展(東京)にて、総合プロデュース担当。
同年、現在のNPO法人の前身である任意団体「織の海道」実行員会を設立。
先述の展示会はいずれも、竹富町織物協同組合の製品の紹介だったそうだ。
その後、石橋財団からの助成金を受け、あらためて先島諸島の染織や歴史、文化なども含めた調査を行い、その成果としての「織の海道」シリーズの第一弾、「八重山・宮古編」(2002年)の発行に至る。
出版と並行して、2001年には竹富島公民館でシンポジウム「八重山・宮古の織物を中心に」を、2002年に、展示会「与那国・竹富・石垣・宮古島 染織展示」を東京で開催するなど、田中さんは染織を軸として八重山を広く国内外に紹介することに貢献されてきた。

(NPO法人 織の海道実行委員会 パンフレットより)

・・・こんなお話しをうかがうと、ご縁と出会いのタイミングというのは不思議なものだと感じる。
その後、同会はNPO法人となり、「織の海道」シリーズ最新号を2013年に発行。
最新号のカンボジアの染織を紹介する「Vol.5 アジアへ、カンボジア ~クメール染織の美~」で、これまで沖縄・九州の染織を紹介してきた織の海道は国境を越えた。
上記画像、NPO法人 織の海道実行委員会 パンフレットに、田中さんの、八重山の染織との出会いから始まった想いが綴られている。
「小さな島、一人のおばぁの糸をつむぐ手から始まりました。 
その手は美しく文化を紡いでいるように思え 伝え、残したいと思いました。」
田中さんは、その思いを形にし、「織の海道」シリーズを発行しつつ、それに伴うイベントを開いた際や、大学等で染織文化の講師としてなど、現在も折に触れて八重山の染織について紹介し続けているのであった。

*NPO法人 織の海道実行委員会
facebook  https://ja-jp.facebook.com/orinoumimichi/

京の夜に与那国の風が吹いた

「風吹く島の音 ~日本最西端!! 与那国島 十五夜遊び三人会~」 

場所:本山修験宗総本山 聖護院「宸殿」(京都市)
日時:平成29年3月11日
開演:19:00
山口和昭(竹笛) 与那覇有羽(うた・三線)、与那覇桂子(舞踊)
ゲスト:安場淳&アンチャン・プロジェクト

チラシによると、「関西初の与那国に暮らす島民のみなさんによる伝統芸能ライブです」とのこと。
本格的な与那国の島唄と踊りの公演だ。
翌日12日(於・NPO福祉広場 ホール)との2回公演の内、初日の様子をお伝えする。

舞台となった聖護院宸殿(しんでん)は、狩野派による金箔を押し当てた上に様々な絵が描かれた襖絵、不動明王像など数々の像や所蔵品展示など、貴重な文化財に囲まれた厳かな空間だった。
事務局「与那国の風 準備会」山田和幸氏によると、当初の定員70名の予定が、問合わせが多く急遽席を増やしたそうだ。
京都や大阪のみならず、中には各地遠方からも、どぅなんとぅ(与那国人)や与那国島にゆかりがある人々などが駆けつけたとのこと。
与那国島伝統の衣装に身を包んだ演者たちの、島の言葉の唄が聞ける、貴重な時間。
120名ほどの聴衆が、今宵限りの特別な空間で与那国島の風を感じ、歌や踊りに魅了された。

山口和昭さん、与那覇有羽さんは、島の伝統的な衣装ドゥタティで。
与那覇桂子さんも、与那国島の女性の伝統的な柄という紺地に白縞の衣装で登場。


(画像提供:「与那国の風」準備会)

ライブは、お盆の行事などに歌う「ミンブチ(念仏節)」から始まった。
事務局山田さんによると、聖護院・宸殿でのライブがこの日と決まった後、演奏者のみなさんは、3.11への鎮魂もこめてこの「ミンブチ」を一曲目に演奏すると、かなり早い時期から決めていらしたそうだ。
14曲の内「月ぬ美しゃ」以外はすべて与那国島の民謡で、与那覇有羽さんの曲ごとの解説により、唄や踊りの意味や島の歴史を知ることができた。
踊りは与那覇桂子さん。
時折人差し指や中指の先を親指と合わせて輪にする手先を見ていると、まるで仏像の手のように見えてくるのも、この独特な空間の影響だろうか。


(画像提供:「与那国の風」準備会)

与那国の人は、三線より笛や太鼓の音に親しみがあるとのことで、山口さんによる笛の独奏や有羽さんとの重奏もあった。


(画像提供:「与那国の風」準備会)

東京の与那国郷友会から、与那国島の芸能に惹かれて島に通い続けてきた安場淳さんとその仲間たちが応援に駆けつけ、与那国の子守歌のアレンジを披露した。
「与那国の風」準備会の代表である山田さんもまた、若い頃から与那国に足しげく通い、この日のご縁つなぎをした人であった。
会場には関西与那国郷友会の方々の姿もあった。
様々な人たちの想いや力により、今日の日が実現できたのであろうと推測する。
最後は、与那国島の豊年祭の締めくくりで踊られる巻き踊り、「ドゥンタ」。
輪になって踊ることはなかったが、宸殿に灯されたロウソクの火を皆で囲み、有羽さんの先導による掛け声にならって会場に詰め掛けた人々も声をあげ、与那国島らしい雰囲気での終演となった。

【出演者】
山口和昭さん(竹笛)、与那覇有羽さん(うた・三線)、与那覇桂子さん(舞踊)

安場淳&アンチャン・プロジェクト

【裏話】
前日10日、与那国からのお三方が乗る予定の飛行機が欠航してしまったそうだ。
一時出演が危ぶまれそうになったものの、島の人々が奔走した結果、前日深夜に全員がどうにか京都に到着されたとのこと。
まさに「渡難(どなん)」であった。
演奏曲の中に、旅の無事を願う「旅果報(たびかふ)」といううたがあったが、旅には様々なアクシデントが起こることもある。
出演者がこうして到着できたのは、島の神様も本公演の成功を願うたくさんの人の想いを聞き入れて、応援してくださったのかもしれないとも思った。

デビュー27周年を迎えるBEGINが東京でコンサート

 昨年10月10日、宮城県仙台市で開幕した「BEGINコンサート2016-2017」が、いよいよ大詰めを迎え、さる3月5日には、東京・昭和女子大人見記念講堂でライブを行った。

 東京での公演は「25周年記念コンサートツアー」のファイナルとなった昨年3月20日、両国国技館でのライブ以来、丸1年ぶり。チケットは発売後、わずか数分でソールドアウトになるほど、東京近郊のファンが待ち焦がれていたコンサートだ。
 今回のライブでは、第1部で演奏する楽曲「いちゃりば結」の歌詞を観客から募集。この中から選ばれた歌詞をメンバーが歌唱する試みも実施された。
 観客の要望に応えたメンバーは、予定より1曲増やすという、BEGINらしい“サービス精神”を発揮。デビュー曲の「恋しくて」から、最新の「マルシャ・ショーラメドレー」など、全17曲を3時間弱にわたって熱唱。アンコールの最後は、巣立ちの季節である春らしく「パーマ屋ゆんた」で締めくくり、超満員の観客を魅了した。
 また、通常ライブ中の写真撮影は禁止されているが、今ツアーでは1曲だけ撮影を許可しており、観客を大いに喜ばせていた。

 同ツアーは、26日の大阪・フェスティバルホールで終幕となる。21日でデビュー27周年を迎えるBEGINは、最近ソロでの活動も増えたが、石垣島で育んだメンバー3人の結束力は健在。28年目もまた、ファンの心に響く音楽を提供してくれるに違いない。
 なお、ピアノの上地等が22日、石垣島のジャズバー「すけあくろ」(大川213―1 B1)でソロライブを開催する。
※詳細 http://www.begin1990.com/news/live.php?page=2

(レポート=ミカエル・コバタ)

京都沖縄県人会・京都沖縄ファン倶楽部合同新年会が開催される

日時:2017年2月11日(土)
会場:からすま京都ホテル(京都市)、二次会:市内某所居酒屋

京都沖縄県人会次期会長に現副会長である上原任氏(石垣島)がなられるとうかがい、新年会の二次会会場へ足を運んだ。
小ぢんまりとしてお話もしやすそうだとイメージして行ったら、5~60名の大所帯。
しかもみなさん、新年会ですでにお酒を飲んでいるので、にぎやかに盛り上がっていた。
ウチナーンチュもナイチャーも入り乱れてあちこちで談笑に花が咲き、「開かれた会」という印象を受けた。

(左:現会長・宮城不二男氏、右:次期会長・上原任氏)

お互いビールジョッキや杯を傾けながら、両氏にお話をうかがった。
宮城氏によると、一次会は180名ほどの参加があったとのこと。
県人会、ファン倶楽部、在京都の他の県人会の方々など、さまざまな形でつながっている人たちが集ったようだ。
式次第によると、一次会では余興の他に、「京都沖縄県人会北部支部結成式」、「吉本沖縄国際映画祭京都応援団団結式」、「琉球ミュージック倶楽部活動紹介」などがあり、京都沖縄県人会の精力的な活動の様子がうかがえた。
間もなく会長の任期を終えられる宮城氏は、「今後は『琉球ミュージック倶楽部』会長として京都から琉球音楽を発信していきたい」と、熱い思いを口にされた。

上原氏がおっしゃったキーワードをまとめると、今後の県人会への思いはこんな風であろうと受け止めた。
県人が故郷を懐かしく思えるような場であると同時に、沖縄が大好きな人たち(ファン倶楽部)や他の県人会の方々などともこのような場で出会い、つながり、みんなで面白く楽しく末広がりに発展していくのが目指す形である、と。
今年の10月に、「全国沖縄県人会交流会」が京都で開催されるそうだ。
「東京や大阪、兵庫など県人会員が多数いる地域とは違い、少ない人数で準備・開催することになる。」と、上原氏は成功への覚悟を語られた。

【居酒屋で繰り広げられた余興】

琉球バイオリン・大城敦博さん
珍しい形の楽器は、ヴァイパーという電子バイオリンだそうだ。
バイオリンで琉球音楽を奏でることを「琉球バイオリン」と名付け、この日も「童神」などを演奏。

三線の伴奏で踊る人々。

カチャーシー。

そして再びしばらくの間談笑タイムとなり、最後は一本締めでお開きとなった。
今後開催されるイベントチラシをいただいたので、その中から八重山と関係が深いものをご紹介しておこう。

●「風吹く島の音 ~日本最西端!! 与那国島 十五夜遊び三人会~」
 https://www.facebook.com/dunanchima/
 3月11日(土)、19時~ 本山修験総本山聖護院「宸殿」(京都・熊野神社前)
 3月12日(日)、15時~ NPO福祉広場1Fホール(京都・北野白梅町)

●「古都の風邪にのせて in 円山音楽堂
  ~ ふるさと災害復興支援チャリテイーコンサート&ふるさと物産展~」
  https://ja-jp.facebook.com/kotonokaze/
 4月8日(土)12時~20時、9日(日)11時~17時半
 京都市円山公園野外音楽堂
 出演予定:迎里 計(石垣島)、横目兄弟(石垣島)、まーちゃんバンド(西表島)、など

近畿八重山郷友会新年会が開催される

日時:2017年1月29日(日)
会場:大東市民会館(大阪府大東市)
時間:13時~

旧暦の1月2日にあたる先月最後の日曜日に、近畿八重山郷友会の新年会が開催された。
総会でおなじみの大東市民会館に、7~80名の会員が集った。
会場の隅には、昨年のイベントで撮影された写真が会員のために焼き増しされて置いてあり、また、故郷八重山の人々の活躍を記した新聞記事を自由に閲覧できるようになっている。

岡田絋二 幹事長の司会の下、式次第が進んでいく。
玉城一正 会長は年頭の挨拶で、「カンムリワシのようにみなさんが羽ばたいていく年に」と語られた。
また、昨年11月に八重山の3市町で開催された三年に一度の「2016全国のやいまぴとぅ大会」へ、本会からもメンバーが参加し交流を深めたことをはじめとした、昨年の主だった事業についても紹介があった。
来賓の方々の挨拶の後、東里俊範 副会長による乾杯、祝いの舞へと続く。

舞台では、予定されていた余興の演目以外に、飛び入りでも様々な歌や踊りが繰り広げられた。

酉年生まれの人への記念品贈呈式で、数え年25~85才のみなさんが祝われた。
石垣島生まれ、大阪育ちの演歌歌手、妃弥呼(ひみこ)さんも会場にかけつけた。

ご年配の方々による「カモメの水兵さん」「お正月のうた」などの童謡の時間では、客席の人々も童心に帰って懐かしみながら歌う声が響いた。
余興も後半になるほど、フロアで踊る人や手拍子、指笛などで会場も開放的な雰囲気になっていった。
途中で行われた抽選会では、司会による当たった人の紹介を聞いていると、遠くは三重や愛知からも参加した郷友もいたようで、みなさんのつながりの強さを感じた。
与那国郷友会の「与那国小唄」や「鳩間の港」で、余興はフィナーレを迎えた。
その盛り上がりの熱をさらに放つように「六調節」で皆が舞い、ゆるやかな「弥勒節」で場を鎮める。

最後は万歳三唱で締めくくられ、お開きとなった。


なお、近畿エリアには、様々な郷友会、同期会があります。
関心を持たれた方は、以下を参照してください。
「やいまぴとぅネットワーク 中部・近畿エリア」
http://yaimapitwu.com/network/area/chubu-kinki/

酒飲みのよしなしごと(4)「気配りとの攻防戦」

明けましておめでとうございます。
本年もあまくま出かけて行って、少なくとも毎月1本は記事を書こうと目標にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

それは、昨年11月に参加した「京都泡盛同好会」でのことだ。
このイベントは、会費も上等だったが、その分、一流ホテルの大宴会場でサービスを受けるというスタイルだった。
料理に関しては、結婚式のように円卓に座り、次々と運ばれる大皿料理を自分たちで取り分ける形式であるものの、使った皿や空いたグラスは当然だが気づいたホテルスタッフがさっと下げてくださる。
まさか、本来心地よいこの気配りとの攻防戦をするとは思ってもみなかった(苦笑)。
会場には様々な泡盛が用意されて飲み放題。
ウェルカムドリンクとしていただいたものは、初めての参加で訳が分からないまま差し出されたものを素直に手にした泡盛水割りだったので、銘柄もわからなかった。
2杯目からは、どうせなら普段自分があまり見かけたことのない、しかも古酒など上等なものから飲もう! という作戦であれこれ楽しんだ。
いくつか味見をし、飲み比べるためには、普通にグラスになみなみとつがれていてはお酒に飲まれてしまう。
なので、中盤は古酒ストレートをグラスに少しずつ入れてもらい、一番多い時で泡盛3種類+水+飲みかけの水割りと、5つのグラスが自分の前に並んでいた。

(久米仙原酒58度、瑞泉古酒40度、瑞泉 キングクラウン10年古酒30度。
このお酒の順番に、テーブルの上にグラスを3つ、その奥に水と飲みかけの水割りを並べていた。)
中には、久米仙の原酒58度なんてのもあり、ちびりちびりと舐めるように味わっていた。
グラスの底に5ミリくらいの高さになっても、一気に飲めない量だ。
しかしそれが問題だった。
スタッフさんが、飲み終わったものと勘違いして、気を利かせて下げようとしてくださるのだ。
その手をやんわりと遮るようにグラスを守りながら、「これはまだ飲んでますから」と数回言う羽目になった。
同じ人に2回言ったし、巡回で別のスタッフも何人か入れ代わり立ち代わり来るから、その都度また説明もした。
そうやって貴重な原酒&古酒のストレートのわずかな残りを持っていかれないように確保しながら、取材のための撮影の合間にちびちびと味わっていた。
悲劇は一瞬の隙に起こった。
以前別のイベントでお話させていただいた方とあいさつするために、少しの間、席を離れた。
戻ってきたら・・・   ・・・グラスの数が一個足りない!
消えたグラスの位置から推測するに、残量が一番少なかった10年物の古酒のグラスを持って行かれてしまった!
ストレートだから、あと一口分くらいはあったのに~~~。
10年物~~~!!  ・・・ガックリである・・・。
スタッフのねーねーたちには、どれも透明な液体だから、中身がチェイサーか水割りかストレートのいずれなのかは、嗅ぐか味見しないと区別がつかないだろうから、仕方ないのだけれど・・・。
しかし、しかしである。 
最後の一口のお楽しみを奪われてしまった筆者としては、これほど切ないものはない。
酒好きの方には、この残念感をわかっていただけると思う。

11月後半に開催されたもう一つの泡盛イベント、「関西泡盛同好会」では、前回の失敗を教訓にと気をつけていた。
貸会場でセルフサービスだったので、会の途中であと少し残っているコップを回収される心配はいらないと判断し、泡盛と沖縄料理を堪能しながら余興の撮影にいそしんだ。
(ストレートで味わったのは、菊之露 12年古酒44度、菊之露吟撰5年古酒40度 など)

しかし、それはうかつであった。
立食中心の会場の隅に、わずかに椅子付きテーブルがあったので、そこに席を確保して、時々撮影のために席を外していた。
最後のカチャーシーで盛り上がっている場面も無事に撮影し終わり、「さて、最後にとっておいた古酒ストレートの一口を飲んで締めくくるか・・・」と席に戻ってきたら、やはりコップが無くなっていた・・・。
会員さんたちが片づけを始める時間になっていたのだ。
席を外していた=帰ってしまったという構図になったようで、最後のお楽しみのもくろみはまたもや潰えてしまったのであった。
あぁ、残念無念!
次回このようなイベントに参加する際には、「最後の一滴までストレートを堪能中」とでも書いた付箋紙でも用意して行こうか。

アイランダー2016に竹富町・石垣市がブースを出展

2016年11月26日(土)~27日(日)
池袋サンシャインシティ

今年も全国各地のたくさんの島々がブースを連ねる祭典、「アイランダー2016」が開催された。
今年は、行政職員、UIJターン経験者などの「島活相談員」がいるブースは79。
沖縄県は5ブースで、竹富町に加えて石垣市が今年初めて参加し、ブースが隣同士だった。

【石垣市ブース】
石垣市は今年度4月、企画部 企画政策課に移住・定住支援係を設立した。
現在市内の人口は、国内の人口減少とは逆に増加の傾向にあるが、将来は減少の道をたどる予測もあり、それを見越して移住者支援をスタートさせたという。

今回は、市の職員が「島活相談員」として在席。
椅子に掛けて本格的に相談・情報を求める来場者の姿もあった。

また、石垣市ではそういった将来の課題に対する対策とは別に、現在の待機児童を減らすために、「保育士さんの渡航費助成」支援制度を設けており、会場では関心のある人は誰でも、そのチラシを手にすることができた。
石垣市臨時保育士名簿登録制度に基づき、保育士の登録申請を行い、名簿登録完了後に実際に働くことが確定した段階で、その渡航(赴任)に必要な費用が支給されるという制度だ。
沖縄県外の人には50万円、石垣市を除く沖縄県内の人には40万円となっている。
他に、家賃補助の制度もあると聞いた。

●石垣市・保育士への渡航費助成制度への問い合わせ:
 石垣市役所 福祉部児童家庭課 電話 0980-82-1704
●移住全体に関する問い合わせ:
 石垣市役所 企画部 企画政策課に移住・定住支援係 
メール 企画@city.ishigaki.okinawa.jp(「企画」を「kikaku」に書き換えて下さい)

【竹富町ブースで移住者の話をうかがう】
一方、竹富町では、内閣府地方創生加速化交付金を活用した「竹富町就業創出及び移住・定住促進事業」に基づき、IT系就業支援の一環として西表島にこの夏シェアオフィスをオープンさせた。

 記事「シェアオフィスが開所 都市部と同様の仕事可能」
(八重山毎日新聞 2016年7月30日)
http://www.y-mainichi.co.jp/news/30201/

昨年、2期行った就業支援のITスキルを学ぶ講座からは2名の移住者が誕生。
竹富町ブースに「島活相談員」としていらした、今年の3期の講座へ参加のために千葉から西表島へ移住したという後藤陽介さんに、お話をうかがった。

移住は今年の6月。
昨年に一度、石垣島で開催されたITスキルを集中的に学ぶ講座に参加し、2カ月ほど滞在したという。
その時初めて八重山に来て、一度千葉に戻られたが再び縁あって八重山に短期の仕事で滞在。
その後、農家の手伝いなどを経た後、正式に移住したのだそうだ。
一回目の八重山へ訪れるきっかけは、全く違う業種だった前職を辞めたことからで、その後移住するまでに、様々な紆余曲折や不思議なご縁に導かれるような出会いなどがあったとうかがった。
後藤さんは、現在は青年会など地元の活動にも参加しながら、シェアオフィスでのIT現地サポーターやフィールドライターという役割で、身に付けたスキルで地元の方々などのサポートを行っている。
シェアオフィスには、地元の自営業の高齢者の方が、例えばメールソフトの使い方やホームページの作り方などを学びに来ることもあるという。
後藤さんは、「個人事業主として自立したい」と目標を語ってくださった。

【竹富島 島学校】
竹富町ブースでは今年もまた、泡波の試飲や、島々の黒糖の試食、様々な情報・パンフレットも用意されており、ひっきりなしに来場者が立ち寄っていた。

町職員の方に、今回のトピックについてうかがったところ、竹富町観光協会による島の生活・自然などの体験滞在の旅「島学校」が、来年2月に竹富島をフィールドに開催されるとのこと。
昨年度に続いて2度目の竹富島だ。
すでに募集が開始されている。 
詳しくは、竹富町観光協会webサイト「ぱいぬ島ストーリー」を参照されたい。
http://www.painusima.com/info?pid=4656

●「島学校」に関する参考情報
昨年の「竹富島 島学校」の様子:
・離島経済新聞:
http://ritokei.com/article/news/2118
・石垣島トラベルセンター:
http://www.itc-ishigaki.jp/view/77
以前開催された「西表島 島学校」について:
http://www.painusima.com/shima-gakkou/

余談ではあるが、会期中はサンシャインシティ別会場にて、「ニッポン全国物産展」も開催されていた。
沖縄ブースには、5~6社ほどが自慢の商品を所狭しと並べてアピールしていた。
時間の都合で八重山の企業の参加の有無は確認できなかったが、こちらもどのブースも盛大な賑いで、「アイランダー」と本展の会場を行き来している人たちも少なくなかった。
「アイランダー」会場自体にも「しまマルシェ」という各島直送の特産品を買えるコーナーや、「島のグルメ食堂」というイートインコーナーが設けられていた。
久米島は、観光・移住等のブースに加え、「しまマルシェ」にも出展していた。
出展側はコスト面や縦割り仕事の連携などが悩ましいところであろうが、このような場を活用して、食の面から、観光や移住・就業の面からなど、多方面から八重山を内地にアピールする機会を設けるのもいいのではなかろうかと感じたイベントだった。