八重山のおやつ屋さん

八重山には、昔から地元の人たちに食べられてきた島特有のおやつがある。そのおやつはどこでどうやってつくられているのだろう。モチ屋さん、せんべい屋さん、砂糖天ぷら屋さん、玄米乳屋さんのおいしい現場をレポート。

ジーマーミ豆腐、芭蕉布モチ、豆餅、ゴマ餅 – 玉城もち屋

 桃モチ、芭蕉布モチ、ジーマーミ豆腐、ゴマ餅、豆餅、タンカー餅…。豊年祭、お盆、十六日祭などの行事ごとにかかせないお餅は沖縄の生活の必需品。
 50年前から、まだ眠る前の人も多い時間から起きてお餅を作り続けているのは玉城富子さん。8月に80歳になったが、今でも富子さんはひとりでお餅を作っている。起き出すのはなんと、22時40分。そして24時から作業を始める。
 昭和35年に旦那さんの正喜さんと一緒にはじめた玉城もち屋。正喜さんは10年前から入院中だが、今はお子さん、お孫さんと一緒に切り盛りしている。長女の嘉手川ツル子さん、旦那さんの恵栄さん、娘さんの理恵さん、パートのようこさんが働いている。みなさんが出勤するのは早朝5時、6時で、その時にはもう、お餅は富子さんの手によりすべてできあがっている。みなさんはお餅の包装、配達などを分担して進めていく。

 いつもスーパーなど店頭に並んでいるのは、ジーマーミ豆腐、月桃モチ、ゴマ餅など。月桃モチは主におみやげ用に。お餅はほんのり甘く、赤茶色はとうきび粉が練り込まれてあるから。芭蕉布モチのお餅は真っ白。どちらとも、それぞれの葉のとってもいい香りが漂う。タンカー祝いの注文が入ったときには、赤ちゃんが背中に担ぐ、大きな紅白のお餅を作る。9月にあった市議選挙の時には、豆餅の注文がたくさんだった。選挙では、お餅にたくさんついている豆のように、たくさんの票が集まりますようにと願いが込められるという。
 現在、配達先は20軒ほど。配達をメインで担当しているのはツル子さん。朝早くから開く商店などへは配達も早い。

 6年前に島に帰ってきて、これまでずっと店を手伝っているお孫さんの理恵さんは、お餅の作り方もおばあちゃんの作業を見ながら勉強している。作ること自体がとても楽しくて好きだという。「そういうところがばあちゃんと似てるはず」と話す。
 午前中の作業が終わっても、まだやることがたくさん。翌日つかうもち米やピーナッツ、小豆などを炊く。そして、芭蕉布モチや月桃モチにつかう葉をとりに行くのも仕事のひとつ。これは主に恵栄さんが山へ行ってとってくる。理恵さんは、冬のお鍋にジーマーミ豆腐を入れるのが好きだそうだ。少し溶けて、また違った食感になっておいしいと教えてくれた。
 富子さんは「体が続く限り、一日でも長く働きたい」と笑顔で話す。

月桃餅、サーターアンダギー、紅イモサンド – 島のとーら

 竹富島のお菓子屋さん「島のとーら」を営む多良間好美さん。赤瓦の屋根に広い庭、お家の中では好美さんの母、堂子さんが着物の手入れをしている。お菓子屋は自宅の隣にある別棟のキッチンで作られ、外で売られている。
 平日の朝、開店前の8時頃から、紅イモを使用した月桃餅やサーターアンダギーなど八重山を代表するお菓子を作り始め、10時には店頭に並べるという。材料は石垣島の川原から買い付けている紅イモと竹富島の自宅の畑で昔から育てている紫イモの2種類。イモは煮て、潰し、餅粉と砂糖を加えてよく練る。1回に20kgほど作り、小分けして冷凍保存する。1日に作る15個分の材料を準備し、月桃の葉で包み、マーニの紐で結ぶ。後は蒸し器に入れて15分ほど待てば月桃の風味のきいた紅イモの餅が完成する。

 島のとーらでは、店先にある棚には、カゴに盛られたお菓子が並べられている。島の人にも人気で、「1個ずつ購入できるのが嬉しい。全種類食べたくなってしまう」と島のお客さんは話す。「お客さんたちの反応を見ながら、島の素材を使用し、新しいアイデアを取り入れたお菓子もいろいろ作ってみます」と話す好美さん。今人気のお菓子は紅イモサンド。煮た紅イモと紫イモを練ったものにスキムミルクと砂糖を加え、市販のクラッカーにはさみ、生地に浸して油で揚げる。短時間で数々のお菓子を作る好美さんは、できたものから順に手際よくカゴに盛り、並べていく。この日も開店前から数名のお客さんが「まだですか?」と島のお菓子が並ぶのを楽しみに店を訪れた。

玄米乳 – 新城商店


 八重山で老若男女問わず幅広く愛飲されている新城商店の「純正 玄米乳」通称「玄米」。50年以上も「玄米」を作り続けているのは登野城在住の新城正雄さん、政子さん夫妻。正雄さんは、沖縄バヤリースと宮崎のデイリー牛乳の八重山総代理店の店主でもある。
 50数年前、当時5歳で、体の弱かった長女の弘子さんに栄養を摂らせるために作ったのが「玄米」の製造のきっかけだそうだ。「玄米1合分を鍋いっぱいに作ったので、近所の人にも分けて、飲んでもらったんです。そしたら、評判がよくて、商品化のアイデアが浮かんだんです」と話す正雄さん。

 「玄米」作りは真夜中に始まる。午前1時頃、新城政子さんは起き、白い帽子とエプロン、長靴を着け、自宅の隣にある別棟の作業場で玄米乳の作業にとりかかる。使用する玄米は新潟産のコシヒカリ、黒糖は小浜島産。製糖期に30kgを仕入れておくという。昔から使っているかまどに火をつけ、大きな鍋でお湯を沸かす。この鍋は新調してから20年ほどのもの。その間にも政子さんは手際よく作業をすすめていく。10時間ほど水につけておいた玄米を特別な器械を使用して挽き、液状にする。。一つの作業を終えるとすぐに器械を分解して洗う。お湯が沸いたら、挽いた玄米と黒糖を入れ、年季の入った棒でよく混ぜる。15分ほど煮詰めたら玄米乳が完成する。正雄さんは最初の一杯をジョッキに入れ味を確認する。できあがった「玄米」はすべて手作業で瓶詰めしていく。一日に300本の「玄米」を作る。製造は政子さん、配達は正雄さんと夫婦2人での共同作業だ。

 午前2時20分頃、正雄さんは瓶詰めされた「玄米」を車に積み、一回目の配達に出かける。配達先は石垣島内の商店やスーパー、コンビ二。夜中から早朝にかけての配達にも関わらず、まったく眠気を感じないという正雄さんは「昔から材木を切り倒し、運ぶ作業など、筋肉労働をしてきたから、体は丈夫ですよ」と話しながら、箱詰めされた「玄米」を軽々と運ぶ。「お店の開店時には届けておかないといけない。まだ開いていないお店がほとんどだから、昔から決められた場所に箱詰めした「玄米」を置くんです」と正雄さんはてきぱきと配達をこなしていく。コンビニは24時間営業なので、店員さんとのユンタクも楽しみの一つだという。

 「玄米」の瓶は貴重で、回収するようにしているそうだ。「玄米」は1本定価120円で販売しているが、瓶の返却時には10円バックがある。
 野村流古典音楽保存会八重山支部の顧問師範であり、とぅばらーまのチャンピオンでもあるという正雄さんは、配達中に様々話を聞かせてくれた。そして、10月7日に行なわれる登野城の結願祭では、これまで務めてきた弥勒の役を後継者である甥の定美さんに受け継ぎ、弥勒行列の先頭に立つことになっている。
 「玄米」だけでなく、様々な面で活躍している正雄さん、政子さん夫妻は「元気なかぎり、ずっと作り続けていきますよ」と話す。日曜日以外は毎日働くお二人。今日もまた夜中から「玄米」作りに取り掛かる。

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