石垣島の畑人(ハルサー)

毎日畑に出かけ、細やかな世話をし、大事に大事に作物を育てる「畑人」。夏の炎天下でも、時には強い雨風の中でも…。
たくさんある島のジマンの作物の中から、今回は、今が旬のパイナップル、マンゴー、お米をはじめ、シークヮーサー、葉野菜、コーヒーを丁寧に育てるみなさんの畑にうかがい、お話を聞かせてもらいました。

パイナップル農家

 開南に8ヶ所の畑を持つ當銘さん。當銘さんは2009年に沖縄県内初の農林水産大臣賞受賞と、栄誉ある賞を受けたパイン農家さんだ。県内初であるとともに、熱帯果樹での受賞も初めてだった。
 最盛期の6月。収穫、出荷にと大忙し。當銘さんのパインはほとんどが島外に出回る。北は北海道の生協から、なんと東京の学校給食でも食べられている。給食では、食育にもつかわれ、食事前に、産地、栽培方法などの説明がされているという。
 パイン畑を始めたのは、お父さんの清助さん。当時は島内に何ヶ所ものパイン加工場があり、パインは加工品が中心だった。その後パインは青果で消費されるものに移り、その基盤ができてから、18年ほど前に引き継いだという。それからは、すべて當銘さんとお兄さんの敏活さんとふたりで経営している。(お兄さんはこの日、作業により腰を痛めてしまい休んでいた)。

 農林水産大臣賞とは、全国環境保全型農業推進会議が主催している『環境保全型農業推進コンクール』での賞であり、農家としては最高賞にあたる。果樹技術、経営の2点を審査され、地域に先進的な農業をしている人に贈られるものだ。2009年度は全国で100件以上の応募があった中で3件のみに賞が贈られたという。
 當銘さんはビニールで耕地を覆うマルチング栽培をしている。受賞は、その赤土流出防止、除草剤を抑えるという環境に配慮している点が評価されたと振り返る。受賞は「運がよかった」と話すが、決して楽にとれたものではなく、これまで18年パインをやってきて、紆余曲折いろいろなことを試してきた成果だと語る。島ではとても身近にあるパインだが、全国的に見れば、沖縄ででしかできないパインはマイナーフルーツ。専用の機械もなく、すべてが工夫だと話す。実際、葉タバコ専用のものを活用し使っているものも。
 バイヤーさん、取引先の方が年間100人は来る。きちんと対応するのは、自分のパインを知ってもらうだけではない。島を見てもらいたい、島のよさ、おいしい食べ物を全国の人に知ってもらいたい。
「石垣のおいしいものを知ってもらたい。これが一番ですね」と笑顔で話す。

マンゴー農家

 見渡す限り、何百というマンゴーがなり、いい香りがただようハウスの中。“石垣島たけしのマンゴー”と名前の付いたマンゴーを育て、両親が経営するフルーツファーム にこにこ市場で販売しているのは王田武志さん。
 マンゴーをはじめたのはお父さんの武央さん。武志さんが島にいたころから、手伝ってはいたが、本格的にふたりではじめたのは、武志さんが島に戻ってきた2005年から。「ふたりでどっちがおいしいマンゴーをつくれるか勝負しよう」という事になって、収穫したものを、「こっちがたけしのマンゴー」などと分けていたことから、マンゴーに自分の名前を付けるきっかけになったという。夏場はマンゴー、冬はチンゲン菜、小松菜などの葉野菜を栽培し、市内のスーパーなどに卸している。

 6月中旬くらいからマンゴーの出荷が始まり、お中元の時期にかけてピークになる。この日は、収穫が少し始まったところで、まだ完熟になっていないもののお世話とを同時にしていた。今年は天候もよかったことから、豊作になりそうとのこと。
 マンゴーは日当たりが重要なポイント。おいしそうな色になるかどうかも関わるので、すべてにうまく日が当たるように、ひもで吊るしたり引っ張ったり、かなりの数のマンゴー全部の位置を考えて調整している。
 マンゴーに白い袋をかぶせるのは、いくつか目的があるが、まずは日焼け防止。適度に日に当てないといけないが、当たりすぎると変色してしまい、おいしくなくなってしまう。そして、完熟したマンゴーは自然と枝から落ちる。地面に落ちると傷ついてしまうが、袋をつけておけば、その中に落ちていい状態で収穫できるというわけだ。そして、害虫防止の役目もある。これをひとつひとつ手作業で行っている。サウナ状態になるハウスの中。毎日、昼休みに昼寝をしないと体がもたないと話す。

 武志さんのハウスには、マンゴーのほかにも、パパイヤ、パッションフルーツ、ライチ、アボカド、アテモヤ、マンゴスチンなどなど、試験的に育てているものも含め、八重山ではあまり見られない熱帯果樹があった。
「石垣島の中で、自分のマンゴーが一番値段の高いほうだと思う」というが、「だから適当なものは出せない」という眼差しは真剣。「食べた人がおいしいっていって笑顔になってくれるのがなによりも嬉しいですね」と話す。

米・サトウキビ農家

 平田原の田んぼで稲刈りが行われていた。玉代勢孫芳さんの田んぼだ。八重山では、多くの米農家の方が二期作でお米を作っている。1期目の田植えは2月、稲刈りは5月から6月。日本一早い稲刈りだ。2期目の田植えは8月、稲刈りは10月。玉代勢さんは平田原と名蔵の3ヶ所に田んぼを持ち、“ひとめぼれ”を育てている。
 玉代勢さんは、米とサトウキビをつくっている。戦争の影響で進学できず、14歳から農業をはじめ、63年間休むことなく続けてきた。昭和38年の大旱ばつがあった時も乗り越えてきた。5月に胃潰瘍になってしまい何日かは休んだが、それ以外は大きな病気をすることもなく頑張ってきた。途中18年間は、当時皆のあこがれだった消防隊員も務めたという。お米はさすがに機械を使っているが、キビは今でも手植え、手刈りだ。「石糖(石垣島製糖)の人たちからは“人間ハーベスタ”と呼ばれていたよ」と笑顔。
 毎朝5時頃に目が覚め、朝ご飯を食べてコーヒーを飲み、7時半くらいから作業をはじめる。1期目の稲刈りが終わったので、今度は8月の田植えの準備に入る。
 田植えをしてから50日くらいたつと、朝昼夕と1日3度田んぼに見回りに行くこともあるという。田に水を入れる目的だけでなく、1日のうちでも時間によって違う葉の状態を見ているそうだ。それによって、肥料の量を見極め調整する。肥料が多すぎると、稲はイモチなどの病気になってしまう。

「米作りで何が一番楽しいですか?」と尋ねると、「稲の穂が出て花が咲いたときがとてもきれい」ととても嬉しそうに教えてくれた。稲はほんの数時間だけ、白い小さな花を咲かす。そして、その花がお米になる。
 お米ができたら、JAにお願いするほかに、奥さんの沖縄本島の実家、自分の本家、子ども、同級生たちに配る。みんなが喜んでくれるのが嬉しいと話す。

 キビは「来年からは機械を頼むかもしれないな」と話していたが、まだまだやる気の元気な玉代勢さんだった。

葉野菜溶液栽培農家

 7年ほど前に、琉球大学の養液栽培の研究所を見学したことがきっかけで、白保に土地を購入し、ビニールハウスを設け、養液栽培の技術を用いて、葉野菜の栽培を始めたという米盛重巳さん。パミスサンドという2ミリ以下の粒状の軽石を培地に利用し、主に小松菜、水菜、からし菜やチンゲン菜などの葉野菜の養液栽培をしている。ビニールハウス内に並べられたパミスサンドの敷かれた培地に苗を植え、肥料を水に溶かした液肥を養液タンクからポンプで流す。日光を浴びれば、養液の吸収力が増し、作物も育ちやすいという。収穫は午前中に終らせる。その後は残痕処理を行い、次の苗を植えていく。葉野菜は2週間ほどで生長するので、月に2回の収獲が可能だという。

 養液栽培の特徴は効率の良さと経費の削減。ビニールハウス内で栽培を行うので、年間通して収獲ができ、害虫もつきにくい。万が一、作物に害虫がついても、その部分を処分し、また新しい苗の植え替えが可能なのも養液栽培のメリットだ。八重山は、夏場に葉野菜が少ないので、島内のスーパーからの要望により様々な種類の葉野菜を栽培するそうだ。敷地内にあるもうひとつのビニールハウスでは、米盛さんのお父さんが趣味でマンゴーやパインなどを育てている。今後、なり物の養液栽培も始めたいと話す米盛さんは、すでに計画を進めているようだ。

コーヒー栽培農家

 砂川省吾さんは7年前から野底の畑でコーヒーの栽培をしている。自身が代表を務める丸俊商会の研修でハワイ・コナのコーヒー農園を訪れたことがコーヒー栽培をはじめるきっかけとなった。
 2006年の台風13号の影響で、ほとんどの木は倒されてしまったが、残った根を植え替え、FFCエースという新しい肥料を使用したり、パパイヤやパッションフルーツなどを植え、防風林で囲ったりと試行錯誤し、現在、砂川さんの畑には、300本ほどのコーヒーの木が育っている。
 コーヒーの木は自然にしていると6m以上にも垂直に育つので、剪定することで枝が別れ、横に広がるという。砂川さんは平日は営業の仕事があるのでなかなか畑に通えないが、週末や時間があるときは必ず畑に足を運び、草刈や肥料撒きなど畑の手入れをする。

 コーヒーの実は、中まで熟していないことも多いので、実の成長を小まめにチェックすることも欠かさないという。コーヒーの収獲は10月から12月にかけて行われる。収獲したものは苗用の種として使用したり、自身と周りの人で分け、自分で育てたコーヒーを味わっているという。
 今後、徐々に苗を移して、1000本以上を目標に規模を拡大していきたいという。砂川さんの夢は、島内で豆を販売し、地元の人に飲んでもらえるコーヒーを作ること。また、収獲の時期には、地元の小中学生や観光客に体験の機会を設けたいと話す。

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シークヮーサー・柑橘類栽培農家

 黒島栄輝さんは、20年ほど前まではお父さんのキビ畑だった山原の土地を整備し、現在はシークヮーサーやレモンなどの柑橘類を育てている。
 郵便局の仕事を定年退職後、土木関係の仕事をしている甥っ子の協力のもと、川原からダンプカー5台を使って土を運び、ユンボーで土地を整備したという。
 シークヮーサーやレモンは、枝単位で栄養生殖させるために、1月から2月にかけて、柑橘系の木を台木として接ぎ木する。シークヮーサーは1月中旬には花をつけ、受粉後、新芽がでる。植えつけてから2~3年である程度の大きさに成長し、実をつける。

 現在、黒島さんの畑に育っている木で大きいものは10~15年だという。沖縄では一般的な、熟していないシークヮーサーは年中あり、ジュースや島酒に使ったり、刺身に添えたりする。熟したシークヮーサーの収獲は毎年旧暦のお盆時期に行うという。
 柑橘類を育てるためには農薬を年に2回使用しなければ、ロウムシなどの害虫に葉を食われて生長が妨げられるそうだが、黒島さんの土地には、農薬を使用していないシークヮーサーの木も育っていて、たくさんの実をつけているものもある。風通しの良い場所や気候によって生長具合や害虫被害の大きさが違ってくるのだそうだ。
 黒島さんが今期待しているのは、無農薬で実をつけるエッグフルーツ(カニステル)の栽培だ。現在も黒島さんの畑にはエッグフルーツの木が育っている。また、堆肥をふませるためにヤギを飼っており、土地を最大限に活用している。そんな黒島さんの楽しみは、丁寧にしかれた芝生と大きな木々に囲まれ、景色も素晴らしいこの土地で、柑橘類を育てながら、友人を呼び、酒を飲んだり歌を歌ったりしながら過ごすことだそうだ。

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