プーリィのころ

 ネコの額といったら笑われるか…、小指の先ほどの田をつくり手刈りで稲を収穫した。
 手術後、体調は順調に回復したと思っていたが、稲刈りをしていると疲れがひどい。医者に力仕事はしばらく休んで下さいと云われ、ハイと素直に答えたのだが、喉元過ぎればなんとやらで、ノーンアランバンユー(なんでもないさ)とばかり気張っていた。
 だがこのざまだ。ラーラーラーアンクダソー(それみろ忠告したのに)と親戚に怒られた。みかねた娘や息子が手伝ってくれた。
 脱穀は大浜永太郎さんのコンバインであっというまだ。アガヤーオウバドゥアル(ああ~これだけしかないのか)と嘆いていると、いい時も悪い時もあるさ、自然相手の商売だからな。日焼けした大浜さんが笑いながらいう。
 空模様を気にしながら籾を広げ干す。眼を離すとハトが数羽やって来て籾を啄ばむ。
 ヤーワダームンヤターンガヌクセーソー(あなたたちの籾は田に残してあるだろー)と追っ払う。
 稲刈りのとき、全部刈り取るのではなく小鳥たちのために数株残しなさいと死んだ伯父から言われていた。害虫を駆除してくれたお礼と、全部刈り取ったら明日からのエサに困るからだというのが理由であった。
 伯父の話を聞きながら、なんと心やさしい人たちであろうかと感激し、以来数株を残している。
 数年前、稲の出来ばえを喜んでいたら台風で水に浸かり、籾から新芽が出て泣く泣く倒伏した稲を刈りたことがある。
 自然相手の農作物は収穫するまで一寸先は闇である。
 タイラーヌンボン(新米の飯)を神に捧げ、湯気の立つ新米を食べるとやっと肩の荷が下りた気がした。「ミーヌフシュン バガラヌ ターナーバツクリッテ、ナンギバシィーリャ」(目くそのような小さな田を作って難儀をしているか)とひとは陰口をたたくが、なにしろアカピンスーヤー(赤貧の家庭)に育っただけにフツナーバンツァスン(腹を満たす)食糧だけはどんなことがあっても確保したいという思いがあっての稲作だけに、なんと言われようが馬耳東風で通している。
 プーリィになると必ずカサヌパームチィとブンヌスーをつくる。台風の後で、サミンや芭蕉の葉は破れて探すのに一苦労したが、それでもきれいな葉をそろえ作ることが出来た。
 ブンヌスーは神に捧げる神饌である。パパイヤ、カンゾウ、サフナ(長命草)、モヤシ、インミズナ(ウミヒユ)、イシャヌメー(いぼくさ)、イーシィ(ツノマタ)を味噌で和えたものである。それに揚げた小魚を五匹藁で縛ったものである。それぞれの材料には子孫繁盛等の意味がある。椀の並べ方も決まっている。
 今年はイシャヌメーとインミズナは台風でナシ。イーシィは市内ではさがせないので伊原間まで買いに行く。神々はこんな健康食品? 自然食品を食べていらっしゃるので何千年と生きられるのかなと、話しながら知人と試食する。まあまあの出来ばえである。
 プーリィの日、餅とブンヌスーを神に捧げ、ヤームトゥ(本家)の仏壇にも供える。
 字会長である兄の家に旗頭を迎えた。門前で力自慢の若者たちが次々と持ち上げる旗頭を見あげていると目がしらが熱くなっていた。
 一度だけミシャグパーシィをしたことがある。宮鳥御嶽で神司を前に村の長老たちが見守る厳粛の中ミシャグパーシィの歌が流れたが、私は緊張のあまり歌どころではなかった。
 ミシャグパーシィの後、エンニガイ(来年の願=予祝)が行われる。弥勒節、ヤーラーヨー、フナー星ユンタがうたわれる。
 往年はそれが終わると、若者たちは長老の家を訪ね、祝盃をいただき、一晩中フナー星ユンタがマフタネー(農村地域)に聞こえたという。今はもうそんな光景はない。
 神は死んだと云いながらプーリィになると神と遊ぶ、不思議だなと不謹慎な話をしながらミシャグパーシィをし、フナー星ユンタを歌った。

大田 静男

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