竹富方言辞典を完成させた 前新 透

―大著の完成、おめでとうございます。

前新 透(以下、前新)
 ありがとうございます。1985年に退職してからですので、足かけ27年になりました。退職した当時、竹富では方言で話しあう家庭など皆無に近いと知り、これは「早晩」ではなく、今すぐにでもなくなる危険性があると思いました。方言集めは、退職3日後から始めたのです。
 辞典づくりは波照間永吉教授や、高嶺方祐、入里照男の両氏をはじめ、多くの皆さんにご協力いただきました。おかげで、方言のもつ民族的な背景や多くの例文、ひとつの言葉でも奥深い説明をすることができました。

―2万語近い方言をどのように集めたのですか?

前新
 最初は私の記憶にある方言を手当たり次第書き出して整理し、その後、竹富島で先輩たちからの聞き取り学習会を10年間、延べ153回行いました。辞典の骨格はこのときにできていったのだと思います。
 大浜太呂さんなどは、100歳になるまで一日も欠かさず教えてくれました。私が先輩たちの体を気づかい、「あと3日、間をおいてお伺いしましょうね」と言った時など、言下に「アラナーナ バノンバ デージヌッコ ビンキョーナリドゥリヤ マイニチクーワーンミシャンドゥラ」(そうでないさ、私たちもたいへん励みになっているから毎日来てもいいよ)とおっしゃってくださったことが、一番うれしかった。先輩方があんなに言うのにボヤボヤしておれん、僕も元気をだしてやらないといかん、と元気づけられました。
 先輩たちとの聞き取り学習会の時には標準語禁止にしていたので、標準語を使うと怒られました。徹底的に方言で話し合ったので、忘れていたような言葉も会話の中からふと飛び出したりして、たいへんよかったと思います。

―方言には、標準語にはない味があると思いますが。

前新
 種子取祭の時、知り合いから方言で「ナカッチャ」と呼びかけられ、いろいろな思いが呼び覚まされたことがあります。そんな風によく呼ばれていたのです。直訳した標準語では、この感覚は伝わらないような気がします。

―方言を大切にし、守っていくためにはどうしたらよいのでしょう?

前新
 まずは、みんなが使うこと。今は方言ができる人まで大和口を使っているから、他の地域よりも竹富方言はもっと消滅が早いと思う。いつまでもテードゥンムニを守っていくためには、お互いに方言で話すことを恥ずかしがらないで、ひんぱんに使ってもらいたい。そのために、みんなの力を寄せ集めて作ったこの『竹富方言辞典』を役立ててもらえたらありがたいと思います。

竹富方言辞典 『竹富方言辞典』
小さな島の大きな辞典!前新透(大正13年4月5日竹富島生まれ)が、二十数年の歳月をかけ、自己の内省によって得た竹富方言語彙と、島に住む先輩話者からの聞き取り調査により収集した語彙・文例を基に編纂されたものである。先祖から引き継がれた生活や大切な文化が凝縮された方言集です。

前新 透前新 透(まえあら とおる)プロフィール

1924年4月5日、沖縄県竹富町字竹富生まれ。
竹富町立船浦中学校校長,石垣市立大浜小学校校長などをつとめ、昭和60年の退職後、竹富の方言の収集と研究をおこなう。平成23年「竹富方言辞典」を刊行。同年「27年の歳月をかけて採集した方言を収録し、日本最南端の出版社「南山舎」から刊行されたこの辞典は、琉球語と日本語の古層、民俗を研究するための貴重な文化遺産である」として菊池寛賞。平成24年4月6日死去。享年88歳。

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